毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人は何かに囚われるんだから、見るものと見ないものを選ぶべき。

人間は何もしないでも何かに囚われ、何も考えなくても何かに囚われます。頭の中では、色んな事が展開していて、思考の断片が次から次へと生まれています。

 

何かを気にすれば、すぐにその事に囚われるし、そして、ずっとその事を考えてしまいます。人間とはそういう生き物ですから、そういう事だったら、自分でそういったものを選んだほうが良いと思います。

 

人は、意識的に、見るものを選ぶ事が出来ます。意識していなければ、見たくないものも気が付いたら見てしまうわけで、そういう事なら、自分で見るものを決めたらいいんです。色んなものを見る事が出来るわけですから、その中から自分が見るべきと思うものを選んだらいいんです。

 

同じく、見ないものをちゃんと自分で選ぶべきです。何も考えていなかったら、知らず知らずのうちに見なくてもいいものをずっと見てしまっているわけですから、見ないものもちゃんと自分で選んだらいいんです。

 

自分の頭の中に、想像上の色んなイメージがあります。事実と事実じゃないものと関係なく、色んなものが想像の中には存在します。そして、気が付いたらそれらの何かに囚われています。

 

その囚われた想像の中のものを、ずっと見てしまっていて、そして、どんどん展開させてしまっています。見なくてもいいもの、見たくないものにも関わらず、気が付いたら勝手にどんどん自ら展開させていたりします。

 

それは、つまり、妄想です。人間は、妄想を展開させる事を自動的にやってしまう生き物です。それらが無害ならそれはそれで良いですが、それらが有害な場合は、妄想を展開させても意味がありません。

 

場合によっては、独りで疲弊しています。ネガティブな感情を膨らませている場合もあるし、ストレスをためている場合もあります。

 

ですから、そのような妄想が展開するままに任せず、自分が見るものをちゃんと選ぶんです。見る事こそが大事なわけです。

 

客観的に自分をちゃんと見る事も大切ですし、頭の中の想像上の事ばかりではなく、世の中にあるもの、外の世界に広がっているものに目を向ける事も大切です。自分の中にも、そして、自分の周りにも、見るべき大事なものはたくさんあります。

 

そのようにして、見る力を身につける。何かに囚われたままにせず、見るものと見ないものをちゃんと選ぶ。人間ですから、どうせ何かに囚われます。それだったら、見るべきものをちゃんと見て、見ないものは見ないようにする。大事な事です。