毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

基本的に今日も良い日。

ちゃんと自分の事について観察しているなら、今日も基本的に良い日です。自分なりに昨日も過ごしていたし、今日も自分なりに過ごしている。可もなく不可もなく、それなりに過ごしている。そういう意味で、昨日も今日も、そしてきっと明日も良い日のはずです。

 

もし、今日が良い日だと感じられないとしたら、それは基準を自分以外のところに置いているからではないでしょうか。人の事ばかり見て、あの人が凄い、この人が凄い、そして、自分はそれと比べて、全然ダメ。そんな事ばかり言っていませんでしょうか。

 

そんな感じで、自分以外のところにいつも基準を置いていると、当然今日という日は良い日になりません。昨日もきっと良い日でなかっただろうし、明日も良い日になりません。自分にとって、基準はいつだって自分にあるべきです。

 

その意味で、自分を過小評価していてはいけません。自分を謙虚に観ているなら、今日は今日なりに自分は上出来なはずだし、そんな過小評価は謙虚さを欠いているかもしれません。

 

同じく、過大評価もいけません。いつも自分は他の人よりすごい、そんな感じでばかりいたら、それはそれでバランスが悪くなります。人との付き合いも悪くなるし、結局は上手くいかない感じになってしまいます。

 

そういう意味で、ちゃんと自分を観ているなら、そして、ちゃんと自分の事を大事にしているなら、基本的には今日も良い日なはずです。

 

丁寧に、自分がいつも何を大事にしているのか、観察するべきです。これまでも、そのようにして、自分の大事なものをちゃんと大事にしてきたはずだし、それで今日もこうして居るわけだし、そういう意味で、今日という日が悪い日なわけがないんです。

 

自分が好きなものが何なのか。見失っているかもしれません。見失うと、すぐに基準は自分から離れます。そして、知らず知らずのうちに、今日という日が上手くいっていない日になります。

 

いつだって、自分の好きなものはそばにあるはずだし、それらを大事にしているはずですから、それらをちゃんと気付くようにするべきです。

 

また、愛しているものが何なのか。それも見失ってはいけません。いつも自分のそばで感じているべきです。それをちゃんと認識して感じているなら、今日はきっと良い日です。

 

ですから、基本的に、今日という日は良い日です。ちゃんと自分を観察して、自分の好きなものを大事にして、愛しているものに気付いているなら、今日はとても良い日です。