毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人は自由であろうとする事が望ましい。

人は基本的に、自由であろうとする事が望ましいと思います。自由とは、自分に由って(依って)生きるという事ですから、出来るだけ他人に頼らず自分の力で生きていくという意味で、出来ればそのように生きるのが良いという事です。

 

自分が何をして生きていきたいのか、出来れば自分で決められると良い。そう思います。案外、自分でそういう事を決めるのは難しい事ではありますが、自分で何をして生きるかを決めないと、他の人に決めてもらう事になってそれこそおかしい感じになってしまいます。その意味でも、自分で何をして生きていきたいのか、決める事が大切です。これも自由の1つです。

 

人は苦しいことから逃れたい。人間ですからそれが普通です。ですが、逃れようとしてもなかなか逃れることが出来ない。そういう事もあります。

 

なので、自分の苦しみは自分で引き受けるしかない。それはとても大変に感じられるかもしれません。ですが、自分の事、自分の苦しみを自分で引き受ける、これも自由な生き方の1つと言えます。

 

要は、自分の事は自分で何とかする。自分の抱えた問題も、自分の抱えたストレスも、そして、自分の抱えた苦しみも、自分が抱えてしまっている事は全て自分で引き受けて、自分で何とかしようとする。このような生き方はまさに自由です。

 

自分の事を自分で何とかするには、自分で引き受ける意志や気持ちが重要ですが、自分自身の成長も重要です。

 

以前出来なかった事、克服できなかった事を、自ら成長する事によって乗り越える。

 

実際のところは、自分独りでは生きてはいけない。自分の力だけでは解決しない。ですが、それらの事を自分自身で何とかしようとする。人に助けを乞う事も、自分で判断し自分で決める。こういう事も自由の生き方と言っていいかもしれません。

 

これは確かに、人間自身が決して独りでは生きていけないという事実を示しているわけです。人は一人では生きていけないんです。

 

ですが、それでも、自分自身で、独力で生きていこうとしなければ、人はもたれ合い、もたれかかり合って、依存しあう事になります。だから、それを前提とはしない。依存しあい事を前提とせず、何とか独りで生きていこうとする。そうする事によって、それぞれがより良く生き、そして、互いの為にもより良く生きる事が出来るわけです。

 

確かに完全に自由に生きる事は難しい。ですが、それでも、人は自由に生きようとする。自由であろうとする。そのような生き方が望ましいと思います。