毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

何かをやる事そのものより「〇〇しながら」が大事。行為や背景、気分の生命性から考える。

私は、実はコーヒーが好きで、毎日欠かさずコーヒーを飲んでいます。コーヒー自体も好きだけど、コーヒーを淹れる前のコーヒーの粉の匂いを嗅ぐのも好きで、また、コーヒーを飲みながら、外の景色を眺めたり、考え事をしたり、考えた事をノートに書いたりするのも好きです。

 

また、毎朝、モーニング・ページと言って、自由気ままにiPadに思った事を書き出す事を習慣にしています。それ自体も物凄く楽しいのですが、コーヒーを飲みながら何か考え事をして書きだすのがまた凄く心地良くて好きです。この、「コーヒーを飲みながら」というのが、とても良いんだなって感じています。

 

今回は、何かをやる事そのもの、ここでは、「考えている事をノートに書く」のような事ですが、その事より、それをやる時の周りの状態、自分が行為する事に対して背景に相当するもの、その時の自分の背景としての気分が、凄く大事なんだという事をお話ししようと思います。

 

私たち人間は、生命ですから、その事を、生命性という観点から考えていきたいと思います。

 

生命性とは、それを取り囲む環境があって、それを周りの環境と隔てる境界があって、そしてそれ自体がある、という3要素から成るものというように考えます。環境という外部と境界によって隔てられている内部と境界の三層構造です。そして、その境界では、内部と外部が相互作用しています。コミュニケーション可能で、互いにアクセス可能です。

 

ここで、何かをするという行為に着目します。何かをするという事は生命性があって、生の行為とでも言えそうですが、その生の行為は、外部の環境因子の中で行われています。それが、行為している状態に対する周囲の状況であり、背景です。家の中で何かを行為している時の背景とは、部屋の中の状態だったり、それを反映した気分だったりします。その時の気分が、背景として、生の行為を取り囲んでいます。

 

生の行為は、意識的には、何かを行為する事に意識を向けていますが、実は無意識には、その行為をしながら周りの背景と相互作用しています。そのような営みが生命です。だから、生き生きと生の行為を行うには、その背景である気分がとても大事だという事です。

 

人はよく、何か好きな事をやらないといけないとか、探さないといけないとか、やる事について考えがちですけど、実はそれだけではなくて、何かやっている時の自分の状態、周りの状態、背景としての気分の状態がとても大事ではないかと思います。

 

意外と、好きな事、やりたい事はすでに見つかっていたり、やっていたりします。でも、背景としての気分が整っていない事が、せっかく好きな事をやっている事を楽しいものにできずにいたりします。何かをするときの背景としての「〇〇しながら」は、意外と大事です。

 

そういうわけで、私は、コーヒーを飲みながら、何かを考え事をする、そういうのが好きだと感じています。「〇〇しながら」にも注目しながら背景や気分を大事にする事が、好きな事をするには凄く良いと思います。