毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

思考パターンや言葉遣いが幸せを決める。

きっと、幸せになる思考パターンというものがある。そう思います。

 

幸せな人というのは、幸せにつながる思考を持っていると思います。そして、そのような言葉遣いをしていると思います。

 

言葉遣いとは、言葉の選び方だったり、文章構造だったり、最初に持ってくる文章だったり、そのような事です。

 

思考が言葉を決めるという事もありますが、言葉が思考を決めるという事もあるわけで、そういう意味で、言葉が思考パターンを決めて、そして、その思考パターンがその人を幸せにしたり、不幸せにしたりするという事です。

 

もちろん、そういう仕組みですから、自分を不幸せにしてしまう思考パターンというのもあるわけです。そのような思考パターンでは、いつまでたっても不幸のままという事があるわけです。

 

そして、そのような思考パターンを作る言葉の使い方というのがあるわけです。知らず知らずのうちに、いつもの不幸せな言葉は発しているわけです。自分を不幸せに導く文章構造になってしまっているわけです。

 

思考のパターンですから、それは習慣化されて強化されたものであるわけです。

 

だから、すでに何も考えなくてもそのような思考パターンは身につけていて、ほぼ自動的に幸せなパターン、もしくは、不幸せなパターンを持っているという事です。

 

ただ、別に人は幸せにならなければならないわけではないですから、別に、不幸せな思考パターンのままでも良いんです。不幸せな言葉遣いのままでもいいんです。

 

ですが、それだと、他の人からは敬遠されがちにはなります。とは言え、それも気にならなければ、それでもいいわけです。

 

ですが、幸せになりたいんだったら、やはり、思考パターンや言葉遣いは気にした方が良いわけです。

 

色んな話し方を身につけるべきだし、色んな情報には触れるべきだし、色んな本を読むべきです。要は、自分以外の何かを取り入れるべきという事です。

 

自分だけに固執していては、変わりようがありません。そして、幸せになりようがありません。

 

もちろん、自分にとっての幸せとは何なのか。とことん、突き詰める必要もあります。自分が心底何を望んでいるのか。それが分からないと、幸せに向かっていくのは難しい事です。

 

そういうわけで、思考パターンは大事です。そして、言葉遣いも大事です。それらによって、幸せになったり不幸せになったりします。ですから、そのような事を念頭において、自分自身が幸せになれる思考パターン、そして、言葉遣いを身につける事が大切です。

能動的休息をとる

人間にはバイオリズムがあって、活動期もあれば休息期もあります。そうです。休息期も必要なわけです。

 

例えば、一週間のうち平日5日間は活動期として、活発に活動しているわけですが、少なくとも現代では週末に2日間を休息日として当てるわけです。昔は、休息日は1日間でしたが、今は主には2日間なわけです。

 

学校や仕事の場合、その方が結果的に効率は良いわけです。一週間のうち、2日間くらいは休みたいという要望に社会が応えているというのもありますが、実質2日間くらいは休んだ方が効率的なはずです。

 

人間の脳にも、覚醒時と睡眠時というのがあって、脳に休息を与えるのは必要なわけです。生存のために脳を休ませているわけです。

 

そういう意味で、人間の身体にも、しっかり休息を与える事が大切です。

 

週末になったら思いっきり遊ぶ。それも良いでしょう。スポーツをしたり、遠くへ旅行に行ったり、活発に遊んだり。

 

ですが、身体が本当に休息を求めている時もあります。

 

平日の間の疲労がかなり身体に蓄積して、回復する為にしっかり休みが必要な時があるという事です。

 

身体は引きこもりがちに、じっとして動きたくないという時もあります。動けない時というのもあります。

 

身体が言う事をきかないわけです。動きたくても身体が動いてくれないわけです。意思よりも以前に身体が動こうとしないわけです。

 

それは、平日に働き過ぎたのかもしれません。平日に、過剰な疲労が身体にたまってしまったのかもしれません。平日のストレスが過剰だったのかもしれません。とにかく、身体は疲れすぎて、身体は意思を持って休みたいと言っているのかもしれません。

 

そういう意味ではそうです。身体は正しく、事実として休もうとしているのです。頭は身体を動かしたいと思っているのかもしれませんが、身体は正直です。身体は、本当に休みと取ろうとしているわけです。

 

そういう意味で、ちゃんと休息をとる必要があります。週末だから、何となく休息をとるのではありません。ちゃんと休息をとるんです。能動的に休息をとるんです。

 

ただ、だらっと過ごすのではありません。何もせず、ダラダラする、ゴロゴロする、そういう事ではありません。

 

確かに身体はそのような要求をしているかもしれません。その意味ではそれでもいいんです。

 

ただ、ここで重要な事は、しっかり意識的に、能動的に休息をとるという事です。そうしないと、身体は回りません。パフォーマンスは上がりません。人間には、そのようなバイオリズムがあるんです。

人生、いかに実行可能な進化をして生きていくか。

人間生きていると、変わっていかないといけないんだなという事を実感します。変わっていかないといけないとは言え、普通に変わりたい自分もいるわけだから、それはそんなに嫌な事というわけでもないわけですが。

 

ずっと同じ場所に居ると、その場所が好きになって、もしくは、その場所に知らず知らずのうちになじんでしまって、愛着を覚えて、離れなくなくなってしまう。こういうのも、自分自身を変わりにくくする要因の1つのように思います。それはそれで悪い事ではないのですが、人間生きていると、変わらざるを得ない時がやって来るから、そのままでいると、いざ変わらないといけない時に苦労するように思います。

 

また、会社などで働いていると、変わらなければならないといつもプレッシャーを感じながら、もしくは、プレッシャーをかけられながら、そこに居るわけですが、一方で、同じ仕事をずっとやり続けなければならないような圧も感じるわけで、人間というのは自分自身が変わっていこうとする一方、他人には変わらない事を期待されるような、そういうところもあるわけです。

 

そういう意味で、生きていると、なかなか変われないと感じる場面は、数多くあるわけです。

 

人類の歴史を振り返っても、生物の進化の過程を見ても、マクロな視点で見れば、それは明らかに、必然的に見えるほどに、変化していかなければいけないわけで、とは言え、人間、人生のうちにいかに変わっていくか、とても大事なわけです。

 

人間、ひとっとびに、遠くにハイジャンプする事は出来ません。無理な変化は出来ません。あり得ない進化を起こりません。

 

とは言え、全く変わらないわけにはいきません。もちろん、世の中も変わっているし、自分自身その影響もうけるし、身体自体も変わっていっているし、全く変わっていないわけではありません。諸行無常なわけです。

 

ですが、自分が思っている以上に、変わっていかなければならない変化量というものはあります。それはハードで、それはちょっと無理ではないか、と感じられるほどの変化は必要だったりするわけです。

 

その意味で、いかに、自分自身にとって、実行可能な変化をしていくか、進化をしていくかっていう事が重要なわけです。

 

自分自身にとって無理な進化というものもあります。ですが、可能な進化というものもあります。

 

それをどのように感じ取り、理解し、順応していくか、自分自身を適応させていくか。それは自分自身にとって大変な変化なわけですが、その実行可能な進化をどのように見定めるか、見出すか、設定するか。人生生きていく上で非常に重要です。

何もしない。習慣化したライフスタイルから新しいパターンを作る。

日々、ずっと同じようなライフスタイルを続けていると、考える事や身体の使い方がパターン化してきて、心身が疲れてきます。ですから、時折そのパターンを変えてあげないといけません。

 

ですが、ライフスタイルのパターンを切り替えるのはそんなに簡単ではありません。パターン化させる事で現在の自分のライフスタイルを確立している部分もあるので、その習慣化したパターンを、別のものに置き換えるというのは非常に難しいです。

 

なので、無理に出来もしていない事を新たにやろうとするのではなく、「何もしない」という事をやってみるのも大事だと思います。

 

何もしないと言っても、全くの無というのはあり得ないわけで、実際に何もしていないときも、当然呼吸はしているし、何か思考は働いています。それでよいわけです。何もしないとは、要はそういう事です。

 

知らず知らずにうちに、多くの事は習慣化されています。考える事もそうですが、身体の使い方も習慣化しています。それは、偏った事に過度にパターン化されているという事も意味しています。ですから、そのような、ちょっとした体の使い方みたいなものに対して、ほんの少し変えてみるという事も、十分な変化になります。

 

姿勢を正して目をつむる、という事も、ひょっとしたら、ちょっとした変化につながるかもしれません。目を開けていると、何かと目に入ってくる対象に囚われて、ずっとその対象を追いかけてしまっています。文字情報、スマホブラウジングなどは良い例です。

 

ですから、ただ黙って目を閉じているだけで、普段何気に目を凝らして何かを見て何かを考えているという習慣を変える事が出来ます。

 

そして、その時に使う思考や身体も、パターンを変える事につながります。

 

何もしないわけですから、それだけでも、心身の状態は変わります。そして、リラックスもしやすくなっています。

 

そのような状態をしばらく続けているだけで、十分何もしない時間は作り出せるわけで、心身を休ませる事も出来るわけです。そして、それは十分な変化になるわけです。

 

その意味では、何もせずに心身を休ませようとする事は、当然心身を回復させる事にもつながるし、新しいライフスタイルのパターンを作り出しているとも言えます。

 

人間の身体は固定化されていません。絶えず動き続けています。当然、心身は常に変化し続けています。一時も同じ状態はありません。常に新しく変化し続けています。

 

ですから、生きやすさという意味では、習慣する事、ライフスタイルを確立する事は大事ですが、変化させることも大事です。その意味で、時には、何もせず心身を回復させる時間を作る。それが新しいライフスタイルのパターンを作る事につながります。

未来を予測して不安にならず、今に集中する。そして、幸せに生きる。

人は、未来を予測する事が得意な生き物です。ですが、未来を予測して不安になるという、これも人間です。

 

不安がサインとなって、これから先の人生を用心して生きていく事が出来る為、生存可能性を上げる事が出来るわけですが、不安があまり強すぎると、結局は生きるのは大変になるわけで、そういう意味で、未来が予測できるのも、そう良い事ばかりとも限りません。

 

確かに、未来の事は気になります。未来の事を想像しながら、計画を立てて、失敗の無いように生きていく事も大切ではありますが、それだけになっては、決して幸せにはなりません。

 

幸せに生きていく為には、未来の不安についてばかりではなく、今を生きる事が大切です。今に集中する事が大切です。

 

今を生きる事が未来につながる。そして、今をどう生きるかによって未来が変わる。どう考えても、今に集中してしっかり生きる事が重要です。

 

そして、今をしっかり感じて生きる事。これもとても大事です。今をしっかり感じられないと、これから先もずっと何も感じられません。

 

今日という日がとにかく大変で、とにかくつらい。そういう時は、今日はとにかく休んで明日に備える。もちろん、そういう事も大切です。

 

毎日、集中して生きていく事はそれはそれで難しいですから。緩急は大事で、昨日も今日も集中したなら、明日はゆっくりしたっていいんです。休んだっていいんです。

 

ですが、出来るだけ、今日という日を大切にして、今に集中して生きる。とても大事です。

 

その意味では、休むという事をとっても、今しっかり休む。そういう事も重要です。なかなか休めない場合もあります。ですから、今日という日はしっかり休む。これも、今に集中する生き方の範疇と言えるかもしれません。

 

もちろん、今に集中したからと言って、また、今日に集中して生きたからと言って、とても充実するとは限りません。パフォーマンスが十分高くなるとは限りません。ですが、それでも、出来るだけ常に、今に集中して生きる。今日に集中する。とても大事です。

 

今に集中する為に、心は落ち着いていた方が良いし、身体も落ち着いていた方が良い。心身が安心出来ていて、整っている事が大事なわけです。

 

そういうわけで、未来の事は気になりますが、あまり未来の不安に囚われずに、今をしっかり生きる。今日という日に集中する。とても大事です。そうする事で、未来は変えられるし、充実して過ごせます。そして、幸せにもなれます。

ストレスを解決して、日々生きていく力に変えていく。

ストレスを感じない人はいません。人はストレスを感じる事で生きています。

 

ストレスが無いのは心地良いですが、あまりに無さ過ぎると、それはそれで生きていけなくなります。人はストレスを感じ、そして、そのストレスをどのように解消するか。実際、ストレスを解消できれば、喜びを感じられるし、前に進んでいけます。

 

脳がストレスを感じるようになっています。脳がストレスを感じ、そして、そのストレスをどのように解消するか。これは人間にとって大きな問題です。いかに、問題を解決するかですが、ストレスは問題の原因に関係しています。

 

ストレスがあまりに無さ過ぎると、どう生きていいか分からなくなるのが人間ですが、もちろん、ストレスがあまりにあり過ぎるのも問題です。

 

ストレスがあり過ぎると、また、ストレスが高過ぎると、そのストレスを解消するのが難しくなりますから、結果、ストレスが解消されなければそれは苦しみになります。

 

ですから、ストレスがあり過ぎるのも良くないわけです。

 

だから、低すぎない、でも、高過ぎもしないストレスを感じながら、そのストレスを上手くハンドルして、上手く解決する。とても大事です。いずれにしても、ストレスはちゃんと解決されることが大事なわけです。

 

ストレスを解決すると、喜びを感じるとともに、自分自身に変化が生まれます。ある種の成長と言っても良いかもしれません。

 

日々、ストレスを感じて、そのストレスを解決して解消する。これを、毎日の日常にしていく事によって、日々成長し、成長を感じ、そしてそれを力にして生きていけるという事です。

 

また、ストレスには種類があります。ストレスは、きわめて多様です。そして、たくさんあります。それらをいっぺんに解決することなどできません。ストレスとはそんなに単純ではないのです。

 

ですが、たくさんのストレスをすぐに全部解決する必要はありません。そもそも、現実問題として、ストレスはなかなか完全には無くなりません。

 

なので、ストレスは1つずつ解決したらいいんです。解決出来そうなストレスに手を付けたらいいんです。そして、そのストレスを解決したなら、それはきっと喜びにつながります。

 

ストレスの解消に、ストレスの大きさは関係ないんです。

 

ですから、ストレスはそのような範囲のものだと理解した上で、日々多様なストレスのうちの幾つか、場合によっては、ひとつをただ解消したらいいんです。それを日々続けていく事によって、生きていく力に変えるんです。

日々問題を解決する習慣。喜びとともに成長できる。

人は、問題を解決する生き物。問題を解決する事で前に進む事が出来る生き物。だから、とにかく、日々、小さくてもいいから問題を解決する。とても大事です。

 

人は問題を解決した時、何か解放され、喜びを感じます。その事が自分自身を強くドリブンします。

 

とは言え、問題を常に何でも解決できるとは限りません。というより、自分の抱えているほとんどの問題は解決できません。日々解決できる問題はほんの少しです。

 

ですが、ほんの少しで十分です。そして、問題はちょっとの事で十分です。小さな問題を解決すれば、それだけで嬉しいものです。

 

また、どうしても解決したい問題というのもあります。ですが、なかなか解決できません。そんな時は、解決できない問題はとりあえず脇において、今解決できる、小さな問題に手を付けたらいいんです。そして、解決したらいいんです。そうすれば、今日という日は、それなりに良い日になります。難しい問題は、また別の機会に解決すればいいんです。

 

そういう意味では、問題を解決する事を、毎日の習慣にしたらいいんです。色んな問題を抱えているわけですから、それらすべての問題を一度に解決する必要はないんです。というより、一度に全部解決する事なんかできません。そうではなく、毎日1個で良いので、何らかの問題を解決したらいいんです。

 

今日この問題を解決したら、明日別の問題を解決したらいいんです。

 

ひとつひとつ解決していく事で、心に喜びがもたらされるとともに、事態が変わっていきます。

 

事態が変われば、問題も変わり得ます。変わった新しい問題を、また解決したらいいんです。そのようにして、人生は前に進んでいきます。

 

人は、問題を解決していく事によって成長していきます。成長する事で、今日の自分は、昨日までの自分とは違うわけです。新しい自分になっているわけです。

 

ですから、日々、小さくてもいいから、問題を解決していく事によって、そして、問題を解決する事を習慣とする事で、日々自分自身が刷新され、成長していく事が出来るわけです。

 

とは言え、問題を解決できない日もあります。そんな日も当然あります。ですが、1日や2日、そんな日があってもいいんです。そんな日はゆっくりして、また別の日に備えたらいいんです。また、心新たにして、問題に向き合ったらいいんです。

 

そういうわけで、日々問題を解決する。これを習慣にする事で、喜びを感じるとともに、人生を前に進める事が出来ます。そうする事で、自分自身を成長させることが出来ます。