人には心配や不安はつきもの。心配のない人生なんて無いし、不安のない人生なんてありません。
もちろん、心配や不安は、将来起きうる危機に対して感情が発信するサインであり、それを事前に知らせてくれているわけですから、役には立ちます。ですが、あくまで未来の可能性であり、確実ではないわけで、それらの危機にいくら対応しようとも、どうしようもない事は多々あります。
ですから、今の時点で出来る事は、今やれる事をする。それが最善だという事です。今の自分が考えうることの中でやれる事、それが今の自分の精いっぱいだし、それで十分だと思います。それ以上の対策は出来ません。
だから、基本的に、人は今やれる事、やるべきと思う事をやったら良いんだと思います。
考える事もそのうちかもしれません。今何をして良いか、分からない時は、とにかく考える。考える事で何か思いつくかもしれない。そして、それをやったら良いんです。今の自分の精いっぱいで考え付いた事。きっとそれが最善策です。
色んな事は確率的です。これから起こる事、未来の事は確率的しかありません。確実性はありません。ですから、確率的な世界の中で、精いっぱい出来る事を、今最善だと思う事をやったらいいんです。最善策ですから、それより良い方法はありません。
諦める。諦める事も人間の出来る事のうちです。人間、諦めが肝心だし、諦めた先に、突破できる何かがあったりします。人間は頭でっかちですから、頭で考えて何とかしようとしてしまいます。
ですが、得てして、考え抜いたそのアイデアは、大したことない事がよくあります。ですから、そんな事よりもさっさと諦める。どうしてよいか分からない事を認めて、さっさと諦める。
その事が、むしろ、突破できる何かを生み出すきっかけになるかもしれない。それこそ、諦めた先に、逆にやれる事を思いつくかもしれない。
人間とはそういうものです。それが最善かもしれません。諦める事も、今やれる事のひとつです。
人間はいかようにも完ぺきではないし、確実でもありません。先の事は分かりません。分かるための確率は上げる事は出来るかもしれませんが、それでも確実はありません。
ですから、心配や不安はさておき、今できる事を精いっぱいやったら良いんです。今思いつく事は、今の自分が出来る事の精いっぱいなわけですから、それを謙虚に認めて、その事実を受け入れて、今やれる事やったらいいんです。それが、最善策なんです。