毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

ちょっとしたイイ事があれば十分。

何も、人生は何か凄い事をしなければならないという事はない。また、何か世界で凄い事を為さなければならないなんて事はない。そう思います。

 

個人的に、何かイイ事がちょっとあれば、それで十分だと思います。

 

それは十分ではないのではないか。足りないのではないか。そんな気もするかもしれません。ただ、それは、欠乏を感じ過ぎているのかもしれません。自分という人間は独り、皆とともにただ生きているのであって、他のみんなに多大な影響を与えていなければならない、そんな必要は全然ないんです。

 

そんな事が必要だとしたら、それは何か基準というものが間違えています。基準は、みんなの基準である必要はありません。自分基準で十分なんです。

 

自分がただ、イイ事だと感じられる事があれば、人間それで十分なはずです。生きるに足るはずです。

 

それより、その「イイ事」と感じた事をちゃんと感じる。より深く味わう。そういう事の方が大切なんです。

 

子供の頃から、お酒が好きな人なんていません。お酒は飲めば飲むほど美味しくなるものです。自ら、味覚を学習によって身につけているんです。

 

タバコも一緒です。その煙単体で美味しいということはありません。吸っているうちに、気分とともに学んでいくんです。自らタバコが美味しいという事を学習していくんです。

 

そういう意味では、生魚もそうです。お刺身や海鮮料理を子供の頃から好きという人はまれです。大人になるにしたがって、味覚を自ら育て学習していくんです。

 

基本的に、人間はこの仕組みでやっていくんです。

 

イイ事だと感じるその感覚を、自ら育てていくんです。学習していくんです。学習して、ちょっとしたイイ事も、自分にとってはとっても美味しいものにしていくんです。

 

そういう意味で、日々の自分に起こっている事を見回していると、イイ事はいっぱい起こっています。ちょっとした事かもしれませんが、たくさんイイ事はあります。それらをちゃんと拾っていくんです。

 

人間は、良くない事に目が行きがちです。良くない事に囚われがちです。不安や心配事に注意が向きがちです。

 

そうではなく、ちょっとしたイイ事にもっと目を向けるべきです。意識的に気付くべきです。そして、その「ちょっとしたイイ事」をよく感じるんです。深く味わうんです。

 

そうする事で自分のイイ事を身につけていく事が出来ます。それが、ウェルビーイングな生き方というものです。

 

ですから、習慣として、自分にとってのちょっとしたイイ事に気付き、より深く味わう。そういう事をやっていったらいいんです。それで十分なんです。ちょっとしたイイ事があればそれで十分なんです。