結局人生、張りがあるのがいい。そう思います。生きる張り合いがある。そういう事が良いという事です。
自分の人生を、張りのあるものにする。そういう風に考えると、生きて死ぬまでの間に、何か張りのあるような生き方が出来ればよい、そういうようにも思えますが、実際それでいいんだと思います。
逆に、人生に物凄い意味を求める。というのは、何か大変で、物凄くチャレンジしなければいけないような気がしてきますが、そこまで無理しなくてもいいんだと思います。
その意味でも、人生、張りがある程度に生きる、くらいがちょうどいいんだと思います。
日々、やっている事をよく振り返ってみれば、それなりに、張り合いがある事をやっていたりします。それでいいんだと思います。でも、何かやっているわけですから、そういう事が結局良いわけで、そういう日々の実践を価値あるものとしてやっていけば、それが張り合いになり、それで十分だという事です。
その程度の張り合いで、本当にちょうどいいし、そういった張り合いがある程度の事が、色んな可能性を秘めています。
人は結局、張り合いがある程度の事に対して、ちょうど良い程度に実践して生きていくしかできないわけですから、その生き方は実際にそれで良くて、そして、そういう事が結果として、何かしら実りある事につながるわけです。
それは、過剰でもなく不足でもなくちょうどいいわけです。そのくらいの加減でやっていく事が、人間としてちょうどいいんです。
別にやり過ぎているわけではありませんが、手を抜いているわけでもありません。ちょうどいい程度に、等身大の程度に力を入れて、着々とやっているわけです。そういうくらいが、ひょっとしたら、一番パフォーマンスが良いんです。
そのようにして張りがある事を実践としてやっていけば、それなりに、十分のフィードバックがあります。手応えがあります。やった分だけの事を十分に自分自身感じられます。
そういう事を、重すぎず、軽すぎず、ちょうどいい感じで、また、実践できる感じで、やっていく事こそ人間らしく、そして、十分に充実するわけです。それ以上の強いフィードバックは必要ないんです。それこそ過剰です。
ですから、張りがある程度の事を、日々実際に大事にして、生きていったらいいと思います。それで十分生きる手応えがあり、フィードバックが返ってきます。そのようなフィードバックを大事にして、そして、また、その程度にやっていったらいいんです。それが、でも、実際、確かな生き方です。