人は、色んな事を体験しながら、その日その日を生きていますが、単に生きているように見えて、実は多くを学んでいます。
身体はもちろん無意識のうちに、体験をそのまま飲み込みながら自らの血肉にしています。歩く事も、食べる事も、全て身体が学習していきます。
そして、頭もまた学ぶわけです。
今日の事、昨日の事、あらゆる体験をただ足跡にして、その足跡を振り返らずに生きていく事も出来ますが、その足跡からも多くを学ぶことが出来るわけです。
昨日のあの出来事も、一見何気ない出来事かもしれませんが、そこから何かを学ぶことはできるわけです。
自分だけの体験を、自分自身が学べない事なんて無いわけです。自分こそが体験しているんですから、その体験をどう振り返り、どう消化するか、それは自分にかかっているわけです。
ほとんどの通り過ぎる体験は、あまりに何気なく、吹き抜ける風のごとく、さり気無さ過ぎるかもしれませんが、そのさり気無い体験から、何かを学び取る事は出来るわけです。
学び取るか取らないか、それは自分自身であるわけです。
自分の体験をどう活かすか、それは自分次第であるわけです。その体験から学んだ事を、明日に活用するかどうかは、自分がその体験をどのように消化し、解釈し、意味を見出すかにかかっているわけです。
単調に見える日々の体験は、一見すると何も変わらない日常ですが、本当にそうなのか、それはじっくり見てみないと分からない事です。
仮にその体験が繰り返しだとして、繰り返す事で、何かを学んでいるかもしれません。また、何か積み重なっているかもしれません。
あるいは、何か自分に訴える事があるかもしれません。そこから、感じる事があるかもしれません。
感じないといけないのかもしれません。
あるいは、確かに感じている何かを、見逃さず、正しく体験とし、そこから、学び取らなければならないのかもしれません。あるいは、無意識に学び取っている何かを、もっと積極的に活かさないといけないのかもしれません。
日々の淡々とした体験は、あまり淡々としているがゆえに、空気みたいに、何の変哲の無いものだと思い込んでいるかもしれません。
ですが、それは自分がただ平凡な事だと思い込んでいて、学びは多くあるわけです。
体験の全てから、いかようにも学び取る事が出来るわけです。それをどう学び、どう活かすか、それは自分次第であり、昨日の体験も、今日の体験も、意味あるものにし、自分の為にするのも、自分次第だという事です。