日々、気になる事はいっぱいあります。ある意味、気になる事にいつも囚われ、振り回されてもいます。
当然、気になる事ですから、それは気になってしょうがないわけで、つい注意を向けてしまいます。毎日は、たくさんの気になる事から出来ていて、気になる事を常に気にしながら、次から次へと気になる事に注意を向け、注意を引っ張られながら過ごしているわけです。
でも、そのたくさんの「気になる事」は、自分の思考の種であり、思考の資源であり、思考の断片であり、そして、思考の一部であるわけです。
そのような事に頭もいっぱいになりながら、そのすべてを思考の源泉にして、人は何かを考えているわけです。
そして、それらの資源から拾い上げた何かを、思考に活用して、新たな思考にして、そして、行動し、実践しているわけです。
自分は、たくさんの「気になる事」を使って、活動しているわけです。
自分は、たくさんの溜まった「気になる事」の断片を活用して生活をして、生きているわけで、つまり、気になる事が自分を思考とともに突き動かしているわけです。
まさに、その意味で、自分自身の資源であるわけです。
それらの資源のうち、どれを使うかは自分次第です。ある資源を使ってずっと囚われたまま何も進まない日々を送るのも自分次第であり、別のある資源を使って、今までと違う日々を送るのも自分次第です。
どの資源を使うかは、自分次第という事です。
ですから、自分の中に溜まった資源、あるいは、断片のうちのどれを選び、どれを行動の種にするか、実践の種にするか、非常に重要です。
選び方によっては、良い流れを作り出せるかもしれません。
だから、日々の「気になる事」を大切にしなければなりません。気になる事は、何らかの資源となり、いつのまにか、自分の血肉になっているかもしれませんが、なっていないかもしれません。
でも、自分にとって有益なものはきっとあります。「気になる事」は、自分の思考を助ける宝物のようなものです。原石のようなものです。原石も拾い上げて使わなければ、ただの石ころです。思考の種として、断片として、役に立つものはいっぱいあるわけです。
日々、色んな事は自分の周辺にあって、自分の中にもあって、それらが気になってしょうがないわけで、また、それらを気にしてしまうわけで、それでも、それらのどれかが、有益で貴重で、自分を突き動かす何かかもしれないわけです。
ですから、日々の「気になる事」はどれも大切なんです。