毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

日々の中で気付く力。

人間にとって、気付く力は大切です。気付く力が無ければ、幸せな生活も幸せと感じられません。幸せである事は、その事に感じるという事が大切なのであって、また、その事に気付く事が大切であるわけです。

分かりやすい事には人はよく気付くわけですが、分かりにくい事にはなかなか気づかないわけです。ですが、分かりやすい事しか気づかないのでは、やはり幸せは感じ取りにくく、分かりにくい事にも気付く力が、自らにより幸せをもたらすわけです。

分かりにくい事だけでなく、小さな事にも気付く力は重要です。色んな事はよく見ないと気付かないわけで、小さい事はそもそも小さいがゆえに見つけにくく、気付かないわけです。ですが、その小さな事に気付く事ができるなら、きっとそれは幸せをよりもたらせてくれるわけです。

そして、気付くには、余裕が無ければなりません。余裕が無ければ、気付くはずのものにも気付きません。

余裕とは時間とも言い換えられ、時間を感じられなければ、気付く余裕はありません。何にも気付かない状態とは、時間が無い状態であり、その意味で、時間を持っている事、時間を持っている事を感じられる事、そのような事が大切であるわけです。

そのような意味での時間があると、人は何かに気付けるわけです。分かりにくい事にも、小さな事にも、気付けるわけです。その意味で、時間があるという事はとても大切です。

同じ意味で、今を感じられる事も大切です。気付くのは今この瞬間であり、今この瞬間という刻々と変化する時間の中にちゃんと自分が居る事によって、気付く事が出来るわけです。

気付く事は、充実感や喜びをもたらす最大限の事であり、気付く力とは、まさに幸せになる最高の力です。

そして人は基本的に、気付く力を備えているのであり、意識がある限り、注意する事が出来る限り、気付く事はいつだってできるわけです。

つまり、幸せを感じる事を、人は基本的には備えているわけです。

ですから、出来るだけ、常に、日々の中で、気付く力を発揮するのです。日々の中で気付く力を発揮する事が出来れば、いつだって幸せを感じられるという事です。

日々は確かに、いつもの日常かもしれません。何の変哲もない日々かもしれません。ですが、それは、気付く力が発揮されていないであり、その為の時間が無いからに他なりません。

気付く力が発揮されたなら、日々はいつもの日常でも問題なく、その中から、容易に驚きや変化を見つけ出し、そして、充実感や喜びを見出すわけです。些細なことから最大限の幸せを感じ取るのです。