毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

「やめる」事が大事なのはどうしてだろう。脳内の情報処理とストレス。煩悩を滅する。

昨今のミニマリストや断捨離など、「やめる」事がとても大事だという事をよく言われるんですが、どうしてなのでしょうか。現代で言えば、「情報が多いから」というのは1つあると思います。

 

情報が多いというか、情報がたくさん頭に入ってきやすいという事だと思います。パソコンやスマホ、色んなメディアに常に触れているので、頭の中にどんどん一方的に情報が詰め込まれていきます。なので、情報処理を常にしないといけない、そういった事が関係あるんだと思います。

 

人間にとって、情報は良くも悪くも自分自身を動かす原動力になります。頭の中に蓄積した情報についてあれこれ思考して、結果的に、情報処理をして、アクションにつながるみたいな流れです。一方、情報が多すぎると、それがストレスになります。心が乱れ、落ち着かなくなります。メンタルも崩して、疲弊して病気にもあります。だから、情報処理をして、そのストレスを下げないといけません。

 

結局、情報はそれを処理する事で自分自身をドリブンしていきますが、ドリブンした結果自分自身の活動が活発化していきます。そして、さらに情報を集めてさらにドリブンして、さらに処理しようとしてしまいます。脳内で、大量情報の取り込みと情報の処理、そして、実行みたいな、パソコンみたいなことをやっているので、疲労してしまいます。

 

だから、やっている事、やろうとしている事を、止めないといけなくなります。そうしないと、やる事がどんどん増えてきて、頭がストレスで一杯になります。

 

止めるとは、仏教では、「滅する」という言葉に近いと思います。そして、何を滅するのかという事ですが、それが「煩悩」です。思い悩んでいる事を滅するというわけです。

 

煩悩とはこの場合何かですが、情報処理とそれによるストレスです。情報処理とストレスは、現代では、脳内にずっと負荷を与えて続けていますが、これをどこかで止めないと、ずっと負荷がかかって、パソコンなら発熱してファンが追いつかず壊れます。

 

だから、脳内での情報処理、つまり、考えすぎる事も止めないといけないですし、メディアを通した大量の情報接種も止めないといけないですし、それによる実行、やる事、やろうとしている事も止めないといけません。そうしないと、このサイクルが止まりません。

 

現代は繰り返しですが、ただでさえメディアの影響は大きく、常に情報処理の圧がかかります。そして、やる事が増えます。だから、常に、定期的に、何かをやめる事、滅する事、大事な事のように思います。

心の状態を整える習慣。小さな喜びと身体の状態は大事。

毎日を送っていると、仕事でも生活でも、日々つらさや苦しさを感じるわけですが、それは人間として普通の事で、とはいえ、そのつらさや苦しみに苛まれて生きていく事が常に問題にあるわけです。仏教でも、人間の真理として苦しみを挙げています。どうしても、苦しみが人間にとっての命題になります。そして、それは普通です。

 

要は、メンタルの状態が問題になるわけで、それをいかに良い状態にするかという事です。メンタルとは精神という事ですが、要は心の状態の事です。心の状態をいかに整えるかが、日々大事になってくるわけです。昨今関心が集まっているウェルビーイング(Well-being)でも、大事な事は、心の状態です。

 

「自分」が常に影響を受けているものは、心の状態であって、心こそが自分の在りかであり、自分の状態です。だから、毎日毎日心の状態から逃れる事は出来ないし、これを常に問題にせざるを得ません。心の状態を無視して生活する事はなかなか難しい事です。

 

そういう意味で、いかに心の状態を日々整えるかという事ですが、小さな事で良いので、日々心の状態を整える習慣を持っておいた方が良いと思います。

 

心の状態が悪くなるというのは、心の状態がネガティブな状態になっているという事に関連があるはずなので、少しでもポジティブになるようにしていた方が良いと思います。その意味で、日々起こっている良い事、小さな喜びを大事にする事が凄く大切だと思います。

 

小さな喜びは、日々の生活の中で案外よく起こっています。それをすぐに忘れてしまっていますから気が付きませんが、小さいものならたくさんあります。五感を通して感じる喜びも小さなものならたくさんあります。美味しいものやきれいな景色、心地良い空気、人とのちょっとした会話、色々見つかります。そういった事を常に思い出す事は心の状態を整える上でとても大事です。

 

もちろん、身体の状態はとても大事です。心の状態は身体の状態を反映しています。人間は身体から出来ているので当然の事です。なので、日々自分の身体の状態に気にかけて、少しでも心地良く、悪いところは改善するように過ごす事がとても大事です。その上に、心の状態が整うという事が乗っかる感じがします。

 

心の状態はメンタルの状態の事であり、自分の在りかであり自分の状態です。常に心の状態が生きている中では問題になるわけで、それを整える習慣を持つ事はとても大事です。小さな喜びを感じる習慣、身体を整える習慣は、そういう意味で凄く大事です。

心がざわついたら、とりあえず一息つく。

心がざわつく時ってよくあると思います。求めてもいないのに、勝手に自分の心がざわつくわけですが、こういうのって意外と煩わしいものです。

 

朝から、まだテンションも上がらないうちに、でも、明確でもない感じで、心がざわついたり、落ち着かなかったり、要はこれって、心が乱れているっていう事だと思うんですけど、こういうのって、個人的にも本当に煩わしいと思います。折角の朝なのに、何の理由変わらないけど、心がざわつく、みたいな。

 

実際、原因とか理由とかはあると思います。でなければ、心はざわつきません。原因があって結果があるわけですから、この結果に相当する心のざわつきは必ず原因があります。ただ、無意識下から湧いてくるざわつきなので、自分の認識としてはその事は分かりません。

 

実際、その原因が分からないわけですから、具体的に心のざわつきを解決しようとするのも、難しい事だと思います。だから、そういうのは無理に解決しようとしない、それでいいんだと思います。実際無理ですし。

 

そういう意味では、とりあえず一息つく。これに限ります。というか、これしかできません。

 

でも、とりあえず一息つけば、その事自体が心の落ち着きにつながります。そもそも一息つくとは、心を落ち着かせる事につながる方法です。

 

ひと息のつき方というのは、人によって様々です。簡単なところでは、深呼吸でもいいし、水を飲むでもいいと思います。

 

また、コーヒーを飲んだり、お茶を飲んだり、そういうのも普通に凄く良い事だと思います。

 

カーテンを開けて外の景色を見るなんかも、凄く効果的です。庭があるのなら、庭に出てみるなんかは凄く良いと思います。マンションなら、バルコニーがあればそこに出るのも凄く良いです。実際、窓を開けるだけでも効果はあると思います。外の空気が入ってきますから、感覚的にも新鮮さを感じます。

 

こういった一息つくというのを、自分の朝の習慣として持っておくと、なお良いと思います。毎朝の事として、自然と振る舞えるようになれば、いつ心がざわついても、すぐにいつもの習慣によって落ち着く事が出来ます。

 

そして、ひと息ついているうちに、心のざわつきに関する事がどうでもよくなったり、または、心のざわつきの原因に思い至ったり、また、その解決方法を思いついたりします。そういう意味でも、とりあえず一息つくというのは、その為の時間的なスペースとしてとても有効です。

 

心がざわついたらとりあえず一息つく。凄くシンプルで凄く良い習慣です。

朝から心を鎮める習慣。引っ切り無しの欲や心の乱れを抑えて、身体を動かす。

欲というと、何か悪い事のような意味合いを感じますが、そういうわけではなく、人間として普通にある欲、でも、無意識で気付かないような小さな、そして、引っ切り無しの欲に、自分自身、日々無駄に引っ張り回されないように生活する事が大切なように思います。

 

自分の中にある、言葉で説明して理解できるような欲は、それはそれで問題ないのですが、自分でも気づかないような欲は、知らず知らずのうちにそれに突き動かされてしまうので、困ったものです。

 

無意識の欲とは、欲の原因みたいなものでしょうか。欲の原因のようなものは、たいてい心の乱れに関するようなもので、落ち着かない状態や、イライラやストレスに関するものです。何か気になるとか、不安とか、不満とか、それこそ、身体の不調、不快感、そういったものも、心の乱れに関係してきます。

 

だから、いつだって心の乱れを抑える事が大事で、心を鎮める事が大事です。

 

朝は、そういった意味でも、もやもやしたり、ざわざわしたり、本当に何かよく分からないものによって心が落ち着かない状態になりやすいので、心を鎮める習慣を持っておくととても良いように思います。

 

心を鎮める基本は、身体を整える事にあります。身体の状態が整ってくると、心の状態も落ち着いてきます。

 

身体の状態を整えるとは、基本的には、身体を動かす事です。適度に身体を動かして、身体に準備運動させるようにしていくのが良いと思います。

 

そういう意味では、日々の家事、雑事は最も良い習慣だと思います。朝から何かをするという意味では、キッチンで色々とやる事は良い運動になるし、顔を洗ったり手洗いや歯磨きをしたりするのでも十分良いと思います。

 

もちろん、軽く体操をしたり、筋トレをしたりするのは、とても良い習慣です。筋肉に軽く負荷をかけたり、身体全体を動かして伸ばしたり縮めたりするのも良いと思います。

 

最も簡単で基本的な事としては、深呼吸はとても良いです。リビングのカーテンを開けて、太陽の光を浴びながら、深く息を吸って吐くという事をゆっくりと繰り返すだけで、身体の状態は整ってきます。そして、心も落ち着いてきます。

 

家の中を、ウォーキングするだけでも良いと思います。歩行という一定のリズム運動は、太陽の光を浴びるのと同じくセロトニンが体内に生成される事を促す効果があって、実際しばらく歩いていると、心が落ち着いてくる事を感じられると思います。

 

そういうわけで、朝はもやもやしたりざわざわしたりして、引っ切り無しの欲に振り回されることがあります。なので、心の乱れを抑えるために、心を鎮める習慣を持っておく事が良いと思います。身体を動かす事はその為の基本であり、体操や筋トレ、また、家事や雑事はとても良いと思います。深呼吸や太陽の光、ウォーキングもとても良いと思います。

「人と話をしたい」という欲。心を鎮める。

人が人と話をするというのは、人間にとって普通の事ですが、この「人と話をしたい」という事が過剰になると、それが問題になります。想像しているより、人は人と話がしたいんだと思います。

 

もう少し言うと、人は人に話を聞いてもらいたい、他の誰かに話を聞いてもらいたいという事です。そういう欲を持っているという事です。誰に聞いてもらいたい、誰かに自分の事を分かってもらいたいという引っ切り無しの欲があるという事です。その欲を、何も考えずに満たそうとすると、それが人間関係上問題になります。

 

一体、何故そんなに人に話を聞いてもらいたいのか、という事ですが、それは、ストレス、イライラ、さみしさ、不安、不満のようなネガティブな心の状態によるという事だと思います。無意識下の事なので、自分では気づいていませんが、それを発散したい、解消したい、満たしたい、という無意識の欲だと思います。

 

この欲は、実際は誰でもよくて、誰かが聞いてくれさえすればいいんだと思います。分かってもらえればいいんだと思います。そうする事で、心がスッとします。心が鎮まります。

 

原因は、イライラ、ストレス、さみしさ、不安、不満、といった心の状態にあって、そのネガティブな心にある原因を、言葉を使って、誰かと話をして、それを通じて、イライラ、ストレスを発散し、さみしさや不安や不満を解消しようとする事で起こる問題です。

 

この場合、言葉は、心の状態を静める事の為にあると言っても過言ではありません。言葉を使って、他の誰かに聞いてもらって、そして、心を鎮めるという事です。心はいつだって落ち着いていたいし、静まっていたいんです。言葉は、人間が開発した、都合の良い、そして、やっかいなツールです。

 

仏教では、この問題に対して、煩悩を滅する、というように言うんだと思います。

 

だから、ポイントは、心を鎮めるという事になるわけです。いかに、自分の心の状態を落ち着かせて、心を鎮めるかという事です。

 

実際は、人に話を聞いてもらう事で、心は静まりません。過剰に話を聞いてもらいたい時は特にそうです。でも、その事には自分は気付きませんから、いつまで経ってもこの問題は解決しません。

 

この問題は、意外と大きいと思います。人と話をして心を鎮めようという事は毎日のようにどこでも起こっているし、むしろそれで社会が回っているかのようです。人間としての自然の営みとすら言えます。

 

でも、この事をちゃんと知っていると、無用に人と話をせずに済みます。話をしたいという引っ切り無しの欲は、タバコを引っ切り無しに吸いたいという欲、甘いお菓子を食べたいという欲であり、ドラッグのようなもの、中毒みたいなものです。解消されるのは一瞬で、しばらくしたらすぐに、その欲は湧いてきます。

 

心は、乱れやすく、すぐに、イライラして、ストレスを感じ、さみしさや、不安や不満に苛まれます。でも、その事に気付いて、過剰に人に話を聞いてもらおうとせず、自分に向き合って、心を落ち着かせようとする事、心を鎮めようとする事は、とても大事な事だと思います。

「人と話をする」と「人の話を聞く」の問題について。

話をするというのは、日々色んなシチュエーションがあって、何かと大変です。誰かに話をして自分の願いを叶えたい時もあれば、誰かの話を聞いて相手の願いをかなえてあげる場合もあります。話をして、そして、話を聞くという会話が双方良い感じになれば良いですが、そうならない事も当然たくさんあって、その事で多くの問題が生じているように感じます。

 

人と話をするという場合、ただ立ち話的に、何気ない話をするという場合もありますが、自分の事柄について何かを決定したい場合に、相手から情報を聞くという場合もあります。自分に何か目的があって、その目的を叶えるために人と話をするという事はよくあります。

 

また、その目的の為に、人にお願いして相手に何かをやってもらう為に話をするという事もあります。それでうまくいけば、相手に何かを頼めますが、上手くいかなければ何も頼めず、むしろ、話が失敗すると、相手との関係性が悪くなります。だから、相手に何かを頼むときは慎重にならざるを得ません。日常的な多くの場面では、このような会話の失敗によって不和が生じているように感じます。

 

別の場面では、自分の抱えている事柄について、ただ分かってもらいたいという場合に、人と話をするというのもあります。人と話をするというより、人に話を聞いてもらうという事です。この会話の場合、具体的に人にお願い事をするわけではありませんから、聞き手はその話を聞いてあげる事に徹しないといけません。この「分かってほしい」という目的を持った会話は、実は本人がそのニーズ気付かずに話している場合が多いですから、聞き手は非常に難しいシチュエーションになります。分かってもらいたいというニーズの場合、「気持ち」が納得するまで話をしようとしてしまいますから、聞き手はどこまで話を聞いてよいか分かりません。話をしている人の気持ちは分かりませんから。このような会話になると、たいてい会話は不快なものになり、関係性は悪くなります。

 

人が話をするという場合は、本人には話をするニーズがあります。それが自分の中で顕在化されている場合もあれば、顕在化されていない場合もあります。上の話の場合は、顕在化されていない場合の問題です。

 

人はいつだって人と話をするし、また、話を聞く側にも回ります。いつもそのような事を通して、会話は上手くいったり上手くいかなかったりします。世の中はそれらの会話や交渉の結果の総体のような状態になっているように感じます。話す人と聞く人の双方のバランスが上手くいく事が良いわけですが、これが困難であるがゆえに、社会や世の中、人間関係は難しくなっていると感じます。

「個人としての生産性」、「自分の生産性」を上げる。プロセスと身体を大事にする。

「生産性」という言葉を聴くと、仕事の成果を出すために苦しい思いをしてでも生産性を上げる、みたいな感じがして、何か苦しい感じがしてきますが、実際はそうではなく、「個人としての生産性」、「自分の生産性」を上げる、というように考える事が大切なように思います。

 

仕事でも、いくら会社や組織としての生産性が高いからと言って、誰か個人の犠牲を払った生産性だとしたら、結局それは良い状態とは言えません。個人的にも、自分自身がいつも苦しみながら、一方で組織や会社の生産性が高くても、全然嬉しくありません。そして、身が持ちません。

 

なので、個人としての生産性、自分の生産性をいかに上げるかが、自分にとっても良いし、その結果、組織や会社の生産性も高まれば、それが最も良い形だと思います。

 

個人の生産性にとって欠かせないのは、周りからの評価や周りの人との成果の比較から来る優位性などではなく、つまり「結果」ではなく、自分がそれをやっていて楽しいか、喜びがあるか、充実しているか、といった「プロセス」が大事だという事だと思います。毎日の仕事が、自分自身として充実するように、喜びがあるように進んでいっているという事が、とても大事です。

 

また、毎日仕事をしていて、体調が崩れるようでは、それは個人の生産性が高いとは言えません。身体の状態が悪いと、普通に考えて高いパフォーマンスは発揮できませんから当然生産性は低くなりますし、自分自身つらくて仕事に行きたくなくなります。身体の状態はとても大事です。

 

むしろ、身体は自分にとっても仕事にとっても資本ですから、身体の状態を整える事が生産性を高める基本になります。

 

また、仕事を続けていて、つらく感じられる、充実感がない、喜びが感じられない、という状態が続いているなら、それは仕事の進め方を見直すべき時です。いくら成果が出ていて、評価をされていたとしても、修正した方が良いと思います。人間はやっている事を記憶学習してしまいますから、その時感じ続けている事をずっと覚え続けて、その結果仕事が嫌いになります。そして、ストレスでいっぱいになります。

 

そういうわけで、生産性を上げるという事に関しては、個人としての生産性、自分の生産性を上げる事を意識する事が大切だと思います。そして、結果よりプロセスを重視して、充実感や喜び、楽しさを日々気付けるように大事にしていく事が重要です。その為にも、自分の身体は資本ですから、身体の状態を整える事を基本にしてやっていく事が良いと思います。