毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

心がざわついたら、とりあえず一息つく。

心がざわつく時ってよくあると思います。求めてもいないのに、勝手に自分の心がざわつくわけですが、こういうのって意外と煩わしいものです。

 

朝から、まだテンションも上がらないうちに、でも、明確でもない感じで、心がざわついたり、落ち着かなかったり、要はこれって、心が乱れているっていう事だと思うんですけど、こういうのって、個人的にも本当に煩わしいと思います。折角の朝なのに、何の理由変わらないけど、心がざわつく、みたいな。

 

実際、原因とか理由とかはあると思います。でなければ、心はざわつきません。原因があって結果があるわけですから、この結果に相当する心のざわつきは必ず原因があります。ただ、無意識下から湧いてくるざわつきなので、自分の認識としてはその事は分かりません。

 

実際、その原因が分からないわけですから、具体的に心のざわつきを解決しようとするのも、難しい事だと思います。だから、そういうのは無理に解決しようとしない、それでいいんだと思います。実際無理ですし。

 

そういう意味では、とりあえず一息つく。これに限ります。というか、これしかできません。

 

でも、とりあえず一息つけば、その事自体が心の落ち着きにつながります。そもそも一息つくとは、心を落ち着かせる事につながる方法です。

 

ひと息のつき方というのは、人によって様々です。簡単なところでは、深呼吸でもいいし、水を飲むでもいいと思います。

 

また、コーヒーを飲んだり、お茶を飲んだり、そういうのも普通に凄く良い事だと思います。

 

カーテンを開けて外の景色を見るなんかも、凄く効果的です。庭があるのなら、庭に出てみるなんかは凄く良いと思います。マンションなら、バルコニーがあればそこに出るのも凄く良いです。実際、窓を開けるだけでも効果はあると思います。外の空気が入ってきますから、感覚的にも新鮮さを感じます。

 

こういった一息つくというのを、自分の朝の習慣として持っておくと、なお良いと思います。毎朝の事として、自然と振る舞えるようになれば、いつ心がざわついても、すぐにいつもの習慣によって落ち着く事が出来ます。

 

そして、ひと息ついているうちに、心のざわつきに関する事がどうでもよくなったり、または、心のざわつきの原因に思い至ったり、また、その解決方法を思いついたりします。そういう意味でも、とりあえず一息つくというのは、その為の時間的なスペースとしてとても有効です。

 

心がざわついたらとりあえず一息つく。凄くシンプルで凄く良い習慣です。