毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

身体とともにただそこに居る。それから時間を感じる。

身体が中心であるから、基本的には身体に任せて生きていくのが良いと思います。

 

気が付いたら人はすぐに意味や目的を求め始めますから、それらは脇において、無意味、無目的に、ただ居ればいいんです。そして、身体に身を預けたらいいんです。

 

身体はただそこにあるし、自分はその身体に居るんだから、まずはそれでいいんです。

 

身体から頭が離れて、無理に何かを見出そうとして、意味や目的について考えても、思い通りにはならないんです。身体という現実がそこに在るんですから、大切な事は事実として、自分は身体にあるということなんです。

 

人は自分の身体がある事を忘れがちです。身体の事を忘れて、何かに注意を集め、囚われているんです。身体が今何を感じ、どうなっているのか、全然気づいていないんです。

 

ただ、頭の中だけが焦り、そわそわして、何かをしないといけないと思って、色んな事を抱え、時間だけがただ過ぎていくわけですが、時間が進んでいく事にも気付かないんです。

 

頭は時間がない状態になって、余裕もゆとりも何にもありません。落ち着いて考える事もせず、感じる事なんてしていないんです。

 

時間をちゃんと感じないと、人は自由に物事を考えられません。何が楽しくて、何が喜びなのか、全然分かりません。

 

時間を感じてはじめて、人間は人間として生きる事が出来るんです。

 

自分に意味を感じられないと不安になるわけですが、不安を取り除くために意味や目的を追い求めても、不安は無くなりません。

 

そうではなくて、意味や目的から離れるんです。意味や目的を求めず、何も求めず、ただ自分の身体とともに、静かに居ればいいんです。

 

ただそこに自分は居るという事実こそが出発点であって、それに先立つ意味や目的なんかありません。

 

自分がそこに居て、身体とともにそこに居て、そして時間を感じて、自由を感じて考えるんです。それから、意味や目的は見出されていくんです。時間のないところに、余地のないところに、意味や目的なんて生まれません。

 

意味や目的に支えられて生きていこうとするアプローチがそもそも間違えているんです。無意味、無目的で生きるという事をまず知らなければなりません。

 

生きるとは、まずただそこに居る。そこに静かに居て、時間を感じ、余裕やゆとりが生まれるんです。余地が生まれるんです。そのようにして生き始めるんです。

 

意味や目的の事について考え始めるのは、その後なんです。そんな事より、身体とともにそこに居る事です。