毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分で居る。言葉と哲学と。

人は、まず、「自分で居る」という事が大切だと思います。

自分で居る事が嫌いという事もあります。自分で居られないから、自分以外の何者かになろうとする。そういう事が自分の中で起こります。

また、自分で居られないから、自分には無い何かをやろうとする。そういう事も自分の中で起こります。

ですが、それでは、何者になっても、何をやっても、自分で居られない事は変わりません。自分で居ても居心地の悪さは変わりません。

人は、きっと何かできるわけです。数ではありません。何かひとつでもできる事があるわけです。そして、1つで十分です。

大切な事は、自分で居て、自分の出来る事をやる事です。自分の出来る事で楽しんで、豊かにして、安心出来れば、それで良いんだと思います。

例えば、人は言葉を使うわけです。自分の考えている事や思っている事を言葉にする。ペンとノートがあれば、それは出来ます。

自分の思うように、また、自分が感じるように、自由に何かを言葉にしてノートに書くんです。いわゆる、ジャーナリングです。

何気ない事ではあるのですが、実は、やってみると、楽しい事でもあるんです。

自分は何を感じ、何を考えているのか、案外分かっていません。ですが、それを、言葉にして言語化していくと、分かる事もあります。自分の事が分かると、それは嬉しいものです。

また、自分が何を考えているのか、言葉にしていくんです。思考を展開するのに、言葉はとても有効です。言葉と思考を連動させながら、考えている事を発展させていくんです。

自分の考えが明らかになる事もあるし、自分なりの考えが構築されることもあります。自分の哲学が、言葉と思考のコンビネーションによって先鋭化されていくんです。

そういった事も、楽しい事だし、豊かな事だし、充実する事です。

ただそれだけの事と言えばそれだけの事ですが、自分にとってそれがただそれだけの事でなければ、それは大切な事になります。

自分が出来る事は、何気ない事であり、何だっていいんです。自分から遠いところには自分が出来る事は無いわけです。

もちろん、自分が出来る事は、増やす事も出来るし、変える事も出来ます。それらが楽しく、充実すれば、自分で居られます。

自分で居る事は、自分を大切にする事です。自分で居られない事は、自分を大切にしていないという事です。自分を見ていないし、自分を知らないし、自分を認識していないという事です。

自分で居る、という事は、起点になります。それが、豊かさや充実をもたらせてくれます。