毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

現代の社会は意欲を必要としている。

この世界で生きていくという事は、ある意味、意欲を必要としている。というか、意欲は求められている。そう感じます。

 

現代の自由主義社会の世界においては、基本的に、人の自由に基づいて社会が作られようとしますから、人の自由に基づいた活動が無ければ成り立ちません。ですから、自らの自由で何かをやろうとする事は、社会は強くそれを求めますが、自らの自由を行使しない場合には、社会は特に何もしてくれません。というか、何もできません。

 

自由の社会とはそういう事です。

 

ですから、自由に何かを自らやりたいという気持ちがある人はどんどんこの世界では生きやすくなり、それほどやりたいという事はないという人は、生きにくくなるという事になってしまいます。

 

資本主義経済の社会は、それを前提としています。ですから、何かをしたいという意欲のある人は、現代の資本主義経済はそれを支えてくれます。自分の意欲をどんどん打ち出していけばいくほど、資本主義社会はそれをどんどん後押ししてくれます。むしろ、そのような意欲を待っています。求めています。

 

その意味では、自分の意欲というものについて、じっくり考えてみる事は肝要かもしれません。何らかの意欲があるなら、それは試してみる価値があるかもしれません。現代の社会は、それを実現に導いてくれるかもしれません。

 

実際、現代の資本主義社会は、多くの人の意欲によって回っています。人一倍意欲のある人は人一倍その意欲によって社会に寄与しています。

 

そして、社会とはつまり、人間から成る社会ですから、ある人の意欲は、他の人たちに影響を与えています。

 

ですから、より意欲のある人は他の人にもその意欲の影響を与えていて、あまり意欲のない人は、他の人の影響をより受けている。そういう社会でもあります。

 

このように言うと、この社会は意欲合戦になっていて、意欲をより大きく持った人がそれほど意欲のない人の居場所を奪ってしまう事もあるかもしれません。

 

もしくは、この社会は、人の意欲の分だけ大きくなるものかもしれなくて、その意味で他の人の意欲は気にせず、意欲は全面的に出していった方が良い。そういう社会かもしれません。

 

そういう意味でも、今一度、自分の意欲というものについて考えてみると良いと思います。そして、それを実現してみようと考えてみるのもありだと思います。案外、意欲が自分を突き動かし、もしくは、社会がその意欲を後押しして、より生きやすくなるのかもしれません。