毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

利己的-利他的問題。MeToo運動から考える。

昨今、MeToo運動が注目されています。女性や少女の性被害の問題が多く、告発する人は大変な勇気が必要だと思います。この問題は普通に考えると、この告発は当然であるし加害者が悪いと思うのですが、ここで、人間はどの程度利己的で、どの程度利他的なのか、また、人間は利己的なんだから仕方がないことなのか、もしくは、利他的であるべきなんだから利己的であってはいけないんだとするべきなのか、この利己的‐利他的問題について考えていたいと思います。

 

まず、人間は利己的であるという事から話を始めるのが良いと思います。人間が利己的である幾つかの考えられる理由があります。

 

それは、ダーウィンの進化論や、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」の観点から考えるのが良いと思います。そもそも人間は他の種と同じく、自分自身が生き残りたいという生存欲求を持っています。他人が生き残るより自分が生き残る方が優先です。生物の進化は、自然選択説によって、その環境で適したものが種を残していきます。そして、環境が変わった時にその変化に適応したものが生き残ります。また、突然変異が従来の種より適応力があれば生き残ります。そうやって、生物は進化の歴史をたどってきました。人間ももれなくこのシステムで種を存続してきました。また、生物には自分たちのDNAがあり、その利己的な遺伝子にしたがって生存してきました。DNAは自分のDNAを残そうと自己増殖しています。より生存力があるDNAが生存していきますから、その意味で利己的な遺伝子が生き残っているわけです。つまり、人間は利己的である特徴を生物として持っているのです。

 

そして、ユクスキュルの環世界という概念があります。人間を含むすべての生物は、自分の感覚器官を通して世界と接しています。人間なら五感を駆使して世界と接していますし、ノミはノミの匂いの感覚を通してノミ特有の世界との接し方をしています。言い方を変えると、世界と接しているのではなく、世界を自分のフィルターを通して作っています。「私」や「自己」とは自分の身体のうちのどこにあるのかという議論はありますが、それはさておき、自分が世界と接するとき、直接「私」と「世界」が接することはありません。それよりも前に、自分たちの感覚を通して世界と接する、より正確に言うと、世界を創造してわけです。その世界は主観的な世界に他なりません。他人と接するとき、このような世界を通して接することになりますが、主観的に見れば、他人は自分で創造した世界の中にいるのです。そのような意味で、人間は主観的な世界しか持ちませんから、利己的にならざるを得ない側面があるのです。

 

そして、今の時代が資本主義社会であるという事実です。1世紀前では、共産主義全体主義も、自由主義的資本主義とともに、世界の理想の社会システムとして候補にありましたが、資本主義社会が現実として残りました。資本主義社会の原動力は、個人の自由活動です。言い方を変えると、人間の個人個人の欲望がこの社会を突き動かしています。自分が欲しているものを求めてよい社会です。このシステムにより経済は成長してきましたし、社会は豊かになってきました。共産主義の計画経済は全く機能せず、人々から自由や豊かさ、喜び、を奪い去り、社会としては実現不可能性になりました。全体主義も実現しませんでした。その意味で、今の時代は個人主義の時代なわけです。個人の自由の時代です。つまり、この事も人間は利己的であることを説明するものになります。

 

では、利他的な社会はあり得ないのかという事ですが、そうではないと思います。人間は個人としては利己的ですが、社会が利他的な世界を作るのだと思います。人間が個々の世界だけの生きているときは社会は存在しませんが、個々の世界を通して社会や文化を形成することはできます。現にできています。法やルールは社会の一部です。

 

社会を形成するときの別の側面でもありますが、人間は自由の観点から、自分の思い通りにしたいという欲求を持っています。自分の思い通りにするために他人を利用するというものです。この考え方は力のあるものが一方的に力のないものを利用するという意味で、最初に話題にしたMeeTo問題を想起しますが、これも、社会を形成する仕組みになりえます。人類の政治体も、かつては独裁制がありましたから、その社会を形成しつつも、権力者が市民を思い通りにコントロールできます。これも社会化のプロセスのうちにあります。ですが、これらも長い年月をかけて人類は解決してきて、世界は基本的に独裁制はダメで、民主制の方が良いとみなされるようになっています。

 

人間の、このような社会化を進める基本的な事は、話し合いをする事です。コミュニケーションをとって議論することです。良い悪いは個人の人間にとっては関係なく、社会的な判断をするときに、良い悪いの議論が出てきます。このコミュニケーションとは、言葉です。言葉は相手とコミュニケーションをする最も良いコミュニケーションツールです。だから、言葉を使って、人と話し合いの場を作ってより良い社会を創っていく事になります。そして、言葉とは、他人との直接対話でなくても、使用できます。言葉は一人で発することが出来ます。今はインターネットやSNSがありますから、直接話さなくても発して伝えることができますし、人々に与える影響は大きいです。言葉による自己表現、自己主張が、現代は社会に大きな影響を与えます。つまり、言葉こそが社会化の最も重要な第一歩になります。

 

MeToo運動は世界を変えることができます。人間は本来、他の種と変わらず利己的な生き物です。でも、利他的ではないわけではありません。ただ、利他的である前にどうしても利己的になってしまうという事です。その事を認めて、いかに利他的な世界を創っていくのか。それは、言葉です。言葉による社会化が利他的な社会を実現する重要な一歩です。言葉の力を軽視せず、表現や主張していく事は社会への力になっていくと思います。