毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人はどのように自由を獲得してきたか。自由は不自然という観点から経済を考える。

人類はこれまでどのようにして自由を獲得してきたかという事について、自然は不自由、自由は不自然という関係で、自然の中の不自由から始まって、生物進化、神、国家における不自然性によって自由を獲得してきたと流れで考えてきました。そこで今回は、経済に関する不自然性という自由という事について考えてみたいと思います。

 

経済というのは、人間の生活や活動を支える営みに関する事で、生きる為に必要なものや、お金、人の流れに関係してきます。それらが活発化すると経済は発展します。そのような活動は人間の自然という見方もできますが、例えば農業革命というのがあって、人がある場所に定住してそこで麦などの食料を高効率に大量生産する仕組みを導入した事によって、実際に多くの人たちがそこで定住する事を可能にし、社会が発展したと考えられます。自然と文化というのは、この場合図式としては二項対立の関係にあって、文化的な事は自然から見ると不自然性と言え、この不自然な行政システムや分業システムによって生産活動が劇的に向上したと言えます。その結果、人間の人口は様々な産業革命によって爆発に増えてきたわけですから、私たち人類は、不自然な生産活動によって繫栄したと言えます。

 

現代は、資本を、借金の借り入れも含めて投入してさらに資本を増やすという仕組みで産業を発展させる、資本主義経済をベースにしていますが、これも人間の自由の活動とは言え、自然から見ると不自然な仕組みです。ですが、この仕組みをプラグマティックに可能にしていて、現代の社会のエンジンにしてシステム化して推し進めているというわけですから、人類というのは本当に不自然でありながら、凄い生物です。

 

現代は、私たちが住んでいる地球の資源の有限性の問題から、経済の右肩上がりを基本とする資本主義経済システムと相いれない状況になってきていて、これも人間の不自然な行為に基づく状況ですが、いかに資源を循環する社会システムを構築するかというのが、グローバルに喫緊の課題になってきています。この地球の資源の有限性という問題に対して、人類は、宇宙に飛びたす事によって資源の問題を克服しようという試みも為されているわけですから、これも自然という観点から見れば極めて不自然で大胆で、でも、それが人間の自由の活動によるものとも言え、旧大陸の西洋から新大陸のアメリカへの開拓の歴史を考えれば、その不自然な自由な活動も現実のものにする勢いです。

 

経済ほど、人間の自由の活動に基づいた不自然性はないと思ったりします。ですが、人間が果敢にその時代その時代で、あり得ない挑戦を重ねてきた事によって新しい社会を実装してきたわけですから、人間の活動の不自然性こそが自由を切り開いてきたと言わざるを得ないようにも思います。自然に対しては、文化とは不自然な行為であり、そんな不自然な人間たちは、とても可笑しく面白い生き物だとも思います。