毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

暇や退屈は、孤独や寂しさではなく、自由や余裕をもって生きる機会となる。

暇や退屈は、過ごしていて辛く感じられたりして良くないというように考える事もありますが、はたしてそうなのだろうかと思ったりします。

 

逆に考えると、暇や退屈を感じる時間がないというのは、ある意味自由な時間が無くて、ずっと何らかのやる事をやっているという事になります。もちろん、好きな事、充実している事をやり続ける事はそれはそれでよい事だとは思いますが、そうとは感じられない事をずとやっていて、暇もない、退屈さを感じる時間もない、というのは、そんなに良い感じがしません。

 

生きていて、時間や余裕は凄く大切な事だと思います。時間や余裕がある事ではじめて、何かを新たに考えて始められるし、今までやってきた事を見直して修正したりできます。そのような時間や余裕を上手く使えず、持て余してしまうと、暇や退屈さをただ感じるだけになってしまいます。

 

暇や退屈さを、人間関係で埋めるという事もあります。世の中、人間関係など、関係性は大事であるという観点から、人付き合いに使うわけですが、それをずっとしていると、独りで暇な時間を過ごす事が出来なくなります。暇で退屈な時間は、ある意味孤独な時間とも言えますが、この孤独感を上手く自分の時間として使っていく事も大切です。

 

また、孤独という事に関して、暇や退屈を埋めるという行為は、寂しさを紛らわせようとする行為につながります。つまり、孤独と関係しています。独りでいるのが寂しいから、人と会う事でそれを紛らわせて、そして、結果的に暇や退屈を埋めるわけですが、そうなると、独りで過ごす事ができません。

 

人間は、いつまでもずっと他人を頼るわけにはいきません。物理的にも、精神的にも、他人に頼らないと生きていけないという事態はよくありますが、いずれは、自分独りで何とかしないといけません。幼い時は親や大人に頼って生きていくのもしょうがないですが、ある程度大きくなっても親や大人に頼るわけにはいきません。ましてや、子供に頼るわけにもいきません。どうしたって、自分独りで生きていく必要が出てきます。

 

暇や退屈さを感じるというのは、孤独感や寂しさという観点からも、つらさにつながりますが、独りで自由に生きていく良い機会とも言えます。自分に拠って生きるという「自由」と向き合って、暇や退屈な時間を、自分の心の余裕の時間と捉えて、思う存分味わって、そして、どのように生きていくか、独り悩みながら、多少苦しみながら生きる事は良い事だと思います。