毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

ウェルビーイングの為に自由に生きる。

私は自由という言葉が好きというか、大事だと思っているわけですが、ウェルビーイング(Well-being)に生きるという観点からもそう思っています。いかにより良く生きていくかという事を考える時に、自由について考える事は欠かせないという感じです。

 

自由というと、好きなように生きるとか、自分の思うままに生きるとか、そういう自由について思ってしまいます。何ものにも囚われず、何にも縛られずに、自由に伸び伸びと生きる。そういう感じでしょうか。自由というのは、隷属という言葉と対の形で表現される事も多く、何か強制的に隷属される事から逃れて自由に生きたいというわけです。人類の歴史も、20世紀は、隷属してしまう人間に対して、人間はいかに自由になるかという事はとても重要な事でした。

 

そういう意味で、人間は自由になりたい、解放されたいと望んでいるとも言えます。実際、自由とは解放という意味があります。「liberty(解放)」という意味での自由です。政治で言う自由とは、一般に、この意味です。いかに、人間が解放されていくか、という変遷で人類の歴史を見ると、いかに人類は自由を求めてきたかというのが分かりやすくなります。アメリカで言うリベラルとか、民主主義の立場は、どちらかというと、この意味での自由を含んでいます。

 

でも、実際に1人の人間として、自由に生きようとすると孤独の方向になったりして、そんなに簡単というわけではありません。何にも縛られない代わりに、何にも依存しない生き方ですから、自ずと孤独の道になってしまいます。

 

仏教では、自由とは「自分によって生きる」という意味のようで、つまり、自由に生きるとは、自分自身によって立つという事ですから、ある意味孤独です。自分で自分自身に向き合う事が大切で、人間は本来孤独であるというわけです。それが、自立であり、自由という事です。もちろん、この生き方は簡単ではありません。でもそのようにして、自分自身で生きていこうとする態度が、人間にとって大事なのではないかと思います。

 

何も、独りで生きていく事を目指すという意味ではありません。自分以外の誰かや世の中、社会にもたれかかるように依存して生きていくのではなく、自分の事は自分でやっていけるように精神的に自立しようとするという事です。人間ですから、そもそも、独りで生きていく事が出来ません。ですが、この意味での「自由」を求める気持ちが無いと、もしくは、足りないと、互いに依存しあってみんな自由になれない状態になってしまいます。1人1人が自由に生きようとしてはじめて、周りの人も自由になっていくんだと思います。

 

そういうわけで、ウェルビーイングの生き方として、自由を求めて生きるというのは大切な事だと思っています。