毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人間は主観的な生き物なんだから、評価や比較ではないより良い世界を生きる。

この世界の中で生きていると、会社でも、社会でも、この世界全体でも、それらの影響を受けながら生きていると感じます。会社も、ある組織の構造になっていて、サル社会に見られるようなヒエラルキーの構造になっています。それは、会社としての機能を発揮しやすい構造であったり、その方が分かりやすく回りやすかったりするからだと思います。

 

でも、その中で生きているのは、人間です。そのような社会構造では、評価の世界であったり、比較の世界であったりします。評価され、評価し、比較され、比較し、優劣を決められたり、決めたりしています。その世界の中で、悦に入ったり傷ついたり、敵対したり安心したりします。

 

でも、色んな本を読んで、色んな人の話を聞いていると、こんな感じで何かをジャッジしたり、比較ばかりしたりするのは、あんまり幸せにならないから良くないという事を言っていると感じます。実際、そうだなと感じます。

 

人間は、主観的な生き物です。世の中がどのような構造になっていようと、それを見ているのは自分であり、想像しているのは自分です。ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」は、人間の想像する力によって国家が形成される事を説明したものですが、まさにその通りだと思います。主観的な人間にとっては、いかようにしても、この世の中は、自分の目にどう映るか、どう想像するかでしかないという事です。

 

実際、会社で働いていても、そこで自分が何をして、周りの人とどう関わるか、それがやっている事の中心です。その中でただ、自分がどう会社を見て、自分の頭の中で想像して、さらに想像を展開させて、疲れて傷ついたりしています。もちろん、その想像によって、喜び、楽しむ事もあります。

 

確かに、自分がどう見るか、どう想像するかも、主観的な人間としてその通りで、自分次第です。周りの影響がいかにあろうとも、自分がどう想像し、より良いものにするか、それにかかっています。

 

自分自身がより良く生きるというウェルビーイング(Well-being)の観点からすると、この世界の中で、どのように見、どのように想像し、どのようにより良い世界を自分自身が構築できるかという事になります。評価、比較の単純な世界ではなく、自分が関わるものをより良く見て、色んな見方をして、色んな世界の想像の仕方をする事は大事な事だと思います。

 

世界は確かにそこに厳然と存在していますが、主観的な生き物である以上、人間はその世界の中で想像する世界を生きるしかありません。そういう事であるなら、そこで自分がどのように世界を見て、どのように世界を想像して、そこで何をして、どう関わっていくか、そしてそれが自分にとっていかにより良いものであるか、そういう事だと思います。

 

単純な評価や比較の世界を想像するのは、人間の生き方としては狭い世界で、もったいない事です。