人類は長い歴史をかけて、快適さを追求してきたと言えます。少なくとも、現代の人々は1万年前より快適に暮らしていると思います。
例えば、エアコンのようなものは、20世紀より前には無いわけで、明らかにエアコンのおかげで過ごしやすくなっています。温度と湿度の管理は、人間を明らかに生きやすくしているわけで、快適さを追求している良い例だと思います。
人類が文化として紡いできたあらゆる芸術は、人間にとって快をもたらすものであって、快適さを追求している別の例とも言えます。
誰でも、心地良くてお気に入りの音楽をひとつは持っています。その音楽が何故好きなのか、理由は分からないかもしれませんが、間違いなく、快適さをもたらしてくれます。
人は何故仕事をしているのか。労働をしているのか。それは、人が快適さを求めているからです。
病院の仕事は、明らかに、人を快適にしています。役所の仕事も、人々がより快適に生活できるようにする為にあります。警察の仕事も、人々が安心して快適に暮らす為にあります。
あらゆる商品も、人や人の生活がより快適になる為にあって、車も、上に挙げたエアコンも、みんな快適さをもたらしてくれます。あらゆるサービスもそうです。
その為に、人はせっせと働いているわけです。
だから、大昔と比べて、現代の人たちは、すでに十分に、快適な暮らしをする事が出来るわけです。
快適な空間に過ごしながら、快適な音楽を聴いて、快適な時間をのんびりと過ごせるわけです。
とは言え、まだ十分でないと感じる事もあります。快適さがまだ足りないという事もあります。そうである限り、仕事はこれから先もあり続けます。
これから先も、新しい仕事は生まれて、それらによって、人々の暮らしはもっと快適になります。想像できないような快適さが、未来にはきっともたらされています。
現代でも、不快な事はたくさんあるし、ストレスもたくさんあります。それらは、解決できていない限り、仕事はあり続けます。
そして、不快さやストレスを解決できる新しい何かが、未来にはあって、より不快さの無い、よりストレスの無い快適な生活を、未来では送っていると思います。
ある程度の快適さで十分という事だったら、今の時代は、すでに十分満喫できます。今の生活で、十分、快適な暮らしが出来ます。
それらは確かに、人類の歴史からすると当然昔からあったものではありません。ですが、今は手に入ります。ですから、もっと快適に過ごしていいんです。人は快適さの為に生きています。