過剰な安心感、過剰な安全感、人は求めてしまいます。知らず知らずのうちに、自分が思っているより過剰な安心と安全を求めています。ですが、ある意味、完璧な安心や安全はありません。なので、ちょっと修正が必要です。ある程度の安心感と安全感で良いのはないか。そういう事です。
生きていて、完全な安心なんかありません。安心だと思っても、何か偶然危険な事は起こり得ます。あまりに危険な体験をすると、その危険が怖いものだから、過剰に警戒し、過剰に不安になってしまいます。それはある意味しょうがないと思います。人間はそのようにできていますから。ですが、不安感は人間の能力ですから、不安というサインを活用しながら危険を避ける。なので、不安は感じないわけにはいきません。
ですが、不安を感じるのは身体的にも精神的にも疲れますから、避けたいと思うのも普通。なので、不安な状態を脱して、安心を求める。全く不安のない、完全な安心を求めてしまう。ですが、そんな世界はありません。不安はどうしたって感じます。
なので、不安を完全に取り除こうとせずに、今ある安心感を大事にする。今ある安心感で十分に生きられるようにする。
安全についても一緒です。危険や危機の体験は、安全を求めるきっかけになります。完全なる安全を求めてしまいます。ですが、完全な安全の世界なんかありません。そんな世界は絶対に訪れません。自分自身は危険を感じる能力を持っている以上、そんな世界はあり得ません。むしろ、あり得ません。
完全に安全な世界は、リアルな世界ではないので、もしそう感じているとしたら、それこそ危険です。安全ではありません。安全は、多少の危機感を持ってこそもたらされます。
ですから、完全には安全ではないんだけれども、それなりに安全ではある。そういう認識が大切です。それなりに安全であるという現実感というか、リアルな感覚を持つ事が大事です。危険に常に備えながら、でも、過剰に危険な状態を避け、そして、適切な安全感を自分なりに把握し、確保しながら生きる。それが大事だという事です。
人は無意識に、完全な安心とか、完全な安全とかを求めがちです。ですが、そんな世界はあり得ません。むしろあり得ません。もし感じるならそっちの方が安心でも安全でもありません。
適度な安心と安全、自分なりに感じる安心と安全。それでいいんです。そのリアル感を認識し、把握し、確保する。そのようにして、自分なりに安心感や安全感を得る。それで十分です。