毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

幸せは、心身の安心感や受容感によってもたらされる。

自分自身についての幸せについて考えていくと、大事な事は安心感のように思います。安心を感じられてはじめて、幸せを感じられるように思います。安心という土台があって、幸せがある。そういう感じです。

 

安心感というのは、身体の状態も関係あります。身体が安心を感じられるほどゆったりとしている事が重要です。身体が安心を感じていないと、真に安心を感じるのは難しく、その上で幸せを感じるのも難しく感じます。

 

また、人との関係においても、それによって幸せがもたらされる感じがします。もちろん一人でも幸せを感じる事は出来ますが、人との関係が良好な場合、その関係から幸せ感を得られます。

 

人との関係から幸せを感じる時、どことなく、安心感に包まれているように感じます。人との関係において安心感がセットでもたらされている時に幸せを感じるように思います。

 

人との間では、安心感のやり取りが強くあるから、良い人間関係であればあるほど、安心感は強く感じられ、同時に幸せも強く感じられるように思います。

 

人との間での安心感というのは、受容感というものにも似ています。人に受容されていると感じると、凄く安心を感じます。人に受け入れられていないと感じると人は安心できなくて、人に受け入れられていると感じると人は安心できるという事です。

 

対象が人でなくても、世界に自分自身が受容されていると感じると、きっとこの上なく安心を感じられると思います。そもそも、人はこの世界に放り投げられる形で生まれてきているから、その世界に受容されていると感じられると、この上なく生きていきやすいと感じると思います。心地良く感じられると思います。

 

その意味で、受容されているという事はとても重要で、それはそのまま人の安心感につながって、幸せにつながっています。人は、今の自分がそのままで受け入れられる、そういう感覚が、身体の緊張を和らげて身をその場に投げ出す事を可能にします。無防備に身を投げ出す事は、安全でない場合は極めて危険ですが、その危険が無いと感じられる状態で、緊張を解き放って自分の身を放り出す、そのような状況というのは、この上ない受容感であって、心身の安心感と言えます。そして、それは幸せにつながります。

 

そのような状況が妨げられると人は幸せから遠いように感じますが、受容感や安心感を妨げているものを少しずつ取り除き、少しでもそのように感じられる場所があれば、また、そのように感じられる人がそばにいれば、人はこの上なく幸せに近づける。そう思います。