毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

「得にならない。」は、自分が本当に望んでいる事を知る良い機会。

人は、よく「得にならない。」という言葉を使います。「得にならない。」とは、一体どういうことなのでしょうか。

 

この言葉を使う場合、「何の得にもならない。」とか「一文の得にならない。」とかも言ったりします。どことなく、お金に関係ある事を言っているような感じもしますが、広義には、お金に限った事でもないと思います。

 

要は、自分にとっての損得の話で、自分に得があるかどうかという事で、それは自分にとってメリットがあるか、うま味があるか、利益があるか。という事だと思います。

 

そして、「自分にとって本当に良い事があるのか。無いのではないか。」と言っているとも言えます。

 

自分が「得にならない。」という言葉を、内心でつぶやいたとしたら、それは、「自分にとって本当に大事な事ではないのではないか。」と疑っているのかもしれません。または、「自分はほんとにその事は望んでいないのではないか。」というように疑っているのかもしれません。

 

そうすると、思わず内心「それは得にならない。」とつぶやいたとしたら、それは、自分が心の奥底で本当に望んでいる事を何かしら示唆しているのかもしれません。

 

言い方を変えると、得にならない「それ」は、本当に望んでいない事で、「それではない事」が本当に望んでいる事ではないか、という事です。

 

つまり、「では、得になる事は一体何なのか。」という事についてきちんと考えてみると、自分が本当に望んでいる事が分かるかもしれないという事です。

 

自分にとって得になる事とは何なのか。どういうことなのか。改めて自分に問うてみると、すぐには出てこないと感じるかもしれません。事実、人というのは、自分が本当に望んでいる事を、自分自身よく分かっていなかったりします。

 

だからこそ、「得にならない。」と内心つぶやいてしまったなら、それは、自分が得になる事は何なのか。自分が本当に望んでいる事は何なのか。知る良いきっかけになり、良い機会だという事です。

 

それは、お金なんでしょうか。出世なのでしょうか。承認なのでしょうか。賞賛なのでしょうか。

 

「得にならない。」から、「結局、得にならない。」に強調する感じに言い換えてみたらどうでしょうか。結局のところそれは得にならないわけですから、それは本当にお金なのでしょうか。やっぱり出世なのでしょうか。やっぱり、承認や賞賛や評価なのでしょうか。それとも、それらとは違う何かなのでしょうか。

 

「得にならない。」たまに出る言葉ですが、その言葉からきっと自分が本当に望んでいる事を知る機会になると思います。