毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分の力で何とかする。自律性、生、事態を変えていく。

自分の力で何とも出来ない事ってあると思います。その無力感たるや。人間にとって、その事こそ、本当につらく本当に絶望的なわけです。

 

人間にとって自律性はとても大事ですから、その自律性が損なわれそうになると、気持ちとしては死にそうな気持ちになります。身体としては死んでいなくても、精神は死んでいるようなものです。人間としての生は、自律性があってこそです。自律性とは、息をしているようなものです。

 

そういう意味では、どんなレベルでもいいから、自分の力でどうにかする事はとても大切です。どうにかしようとする事はとても大切です。望んでいるレベルで出来る必要はありません。その時の自分の出来る事を、ちょっとやればいいんです。それだけでも、自分の自律性は得られます。

 

良くないという意味では、自分の力でどうにかしようとせず、事態が変わるのを自分以外の何かに期待する事です。自分以外の何かに事態を変えてもらう事を待ってしまう事です。たまには、確かに、自分以外の要因で自分を取り囲む事態が変わる事はあります。仏教の世界ですから、諸行無常の中ではすべては変化し続けています。ですが、やっぱり事態が変わるまではずっと窒息しそうになっていますし、いわゆる自己効力が育ちません。自己効力は経験して学習する事で育ちますので、やはり、自分の力で何とかしようとする事が大切です。

 

繰り返しですが、自分の力と言っても、本当にちょっとでいいんです。自分で出来る範囲の事を自分なりにやったらいいんです。自分でやった事は自分の経験になって、学習が起こります。学習が繰り返し起こったら、その事は容易になります。そしてまた、自分の力でさらにちょっとやったらいいんです。そうすれば、さらに、ちょっと学習して以前よりさらに出来る事が増えています。そのようにして、自分の力で出来る範囲や種類が増えていきます。それでいいんです。大事な事は、とにかく自分の今の力で思いつく限りのちょっとした何かをやったらいいんです。そのようにする事で、自ら自分の事態を変えていく事が出来ます。そのような経験はとても大事です。

 

人間は自律性を失ってはいけません。自律性は自分自身の生の底流にあるものですから、それを失ってはもはや生きていく事が出来ません。精神的な死が至ります。

 

それでもなおかつ、自分の力ではどうにもできない事ってあると思います。無力感や絶望感でつらくなります。ですが、それでも、自分の力でちょっと何かをするんです。そして、自律性を保って、生を得て、事態を変えていくんです。