あるがままとは、一体どういう事でしょうか。自分にとっての「あるがまま」であるわけですから、特に自分を変える必要はなく、そのままの自分で無理をする必要は無いわけです。
とは言え、別に、変わってもいいわけです。変わりたいのなら、変わるために努力しても良いし、そのような環境に身を置いても良いわけです。無理に変わる必要は無いし、変わりたいだけ変わってもいいわけです。
あるがままで良いという事は、言い方を変えると、あるがままではダメという事は無いという事です。
あるがままではいけない、変わらなければならない、このような観念に囚われる必要はないという事です。
ですが、問題になるのはこの事で、気が付いたらあるがままの自分を、自分で、「ダメだ」、「いけない」と思ってしまうわけです。本当は、このような考えは、必要ないわけです。
あるがままである事を自分で否定しまう理由の一つは、焦りです。落ち着きの無さです。余裕が無く、焦っていると、このままの自分を変えないといけない、今の状態を変えないといけない、という気持ちに駆られてしまいます。落ち着きの無さも同じです。
ですから、出来る限り、焦っている自分に気付いて、落ち着きを取り戻す事です。落ち着きを取り戻して、今という時間を感じる事です。
今という時間を感じる事が、余裕を生みます。そのような自己認識が生まれます。
余裕ができ、時間を感じる余白が生まれれば、あるがままで良いという事を思い出せます。
出発点は、あるがままです。基本的な状態は、あるがままです。あるがままの自分から、スタートするんです。
あるがままの自分を否定するところからスタートするのではないんです。あるがままの自分が間違っているからそれを訂正するところからスタートする、という事ではないんです。
あるがままでいいんです。あるがままの自分を認めて、受け入れるんです。あるがままの自分がおかしいという事はあり得ないんです。
人間は多様ですから、平均的な人間、あるいは、普通と思われている人間からずれる事がおかしいとしたら、皆同じくおかしい事になって、そして、それはおかしいとは言わないわけです。多様なだけです。人間は多様ですから、皆同じく平均や普通からずれているんです。
ですから、多様性ある人間は、まずは多様な自分として、あるがままの自分でいいんです。そして、あるがままの自分をちゃんと認識するんです。
あるがままの自分をスタート地点として、そこから始めるんです。結局のところ、あるがままの自分で生きていいという事です。