毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

つらさや惨めさを感じたら「自分の過剰な期待」を見直す。自分が大切にしているものを育てる。

何気なく、つらさを感じたり惨めさを感じたりする事ってあると思います。そして、このつらさとか、惨めさとかってどこから来るんだろうという事なのですが、ひとつに、「自分の過剰な期待」というのがあると思います。自分に対する、もしくは、自分の中の過剰な期待が、自分をつらくし、惨めにするわけです。

 

一体、この自分に対する過剰な期待とは何なんでしょうか。それは、自分が期待するもののはずなわけですが、実際は、他人から得られるようなものだったりするのではないかと思います。他人からの評価とか賞賛とか、よく言われているものです。会社からの評価、社会からの評価、そういうものです。

 

また、別の言い方として、「何か凄い事」みたいなのもあるかもしれません。この、凄い事っていうものは一体何なのか。よく分からないわけです。分からないから、何か凄い事、なわけです。

 

この「よく分からない過剰に期待する何か」が自分に「無い」事によってかえってつらくなる、かえって惨めになるという事だと思います。

 

この「よく分からない過剰に期待する何か」は、他人や社会から反映したものだったりします。だから、きりがなく、そして、つらさや惨めさは継続します。

 

自分以外のその他大勢の人たちからもたらされる何かだから、それは大き過ぎて、多過ぎて、そして過剰ゆえ、その何かは達成する事が出来ない、到達する事が出来ない、もしくは、獲得する事が出来ない、というわけです。

 

そのように考えていくと、結局、自分のやっている事、目の前にある事を丁寧に育てていったらいいのではないかという感じがします。自然とやっているものがきっとあります。

 

人には、「希望」とか「願い」とか、色々あるとは思います。それらが問題だとは思いません。問題となるのは、過剰です。過剰が良くないわけです。そして、自分のものではないものも良くないわけです。

 

結局、他人ばかり、世の中ばかり見ているから、自分が何を望んでいるのか、何を普段やっているのか、全然気づいていないわけです。

 

自分にちゃんと向き合う事は、とても大切です。日々忙しく、情報も入ってきやすいですから、現代はとても振り回されやすく、自分を見失いやすい時代です。

 

なので、つらさ、惨めさを感じたら、まずは、「自分の過剰な期待」がないか、見直してみるのは良いと思います。たいてい過剰になっています。そして、自分と向き合う時間は大事です。自分をないがしろにせず、いつも自分がやっている事、目の前にある事、自然に望んでいる事、それらをいつも気付くようにして、育てていく事が大切です。