毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

上手くいっていない事は、本当はそれを望んでいないから。

上手くいっていない事は、本当はそれを深いところで望んでいないからではないか。そのように思ったりします。意識の上では、「それは自分は望んでいるんだ。」と思ったとしても、実は深いところでは望んではいない。だから、上手くいっていない。そういう風に思うわけです。

 

言葉の問題もあります。本当に望んでいると思っている事を、適切な言葉で表現できていない。だから、本当に望んでいると思っている事はその言葉で表現されている事だと思い込んでいるが、実はその言葉で表現している事ではなかった。

 

例えば、自分はその仕事を進めたい。そのように望んでいたが、実がそのように望んでいると思い込んでいて、実際は、その仕事を進めたいのではなくて、その仕事を進める事で評価されたいだけだったかもしれない。評価されることが本当の望みだったのかもしれない。そういう事です。

 

「仕事を進める」という事柄と、「評価される」という事柄は、違う事柄なのに、適切に「評されたい」という望みを本当の望みとして表現できていなくて、「仕事を進めたい」という本当ではない望みを言葉で表現していたために、いつまで経っても上手くいっていない。そういう事です。

 

「恋愛をする」という事柄も、実は本当の望みはそうではなくて、ただ単に「もてたい」という望みが本当の望みだったりして、いつまで経っても恋愛できない。そういう事です。

 

言葉とは難しいもので、言葉は簡単に使えるがゆえに、簡単に間違ってしまうという、非常に厄介なものです。だから、自分自身で言葉の使い方を間違えて、自分が本当に望んでいる事をとらえ損なってしまう。とてもありがちです。

 

言い方を変えれば、ひょっとすると、上手くいっている事が結局本当に望んでいる事なのではないか。もしくは、本当に望んでいる事に支えられているのではないか。という事です。

 

自分自身は、本当の望みというものを言葉に出来るほど掴めてはいない。けれども、その言葉に出来ていない本当の望みに支えられて、結果的に、その事が上手くいっている。そういう事です。その事によって、仕事が上手くいっていて、恋愛が上手くいっている。ですが、自分は奥底で本当に望んでいる事が何か、全然気づいていない。そういう事もあると思います。

 

いずれにしても、自分にとって本当に望んでいる事は何なのか。とても大事です。本当に望んでいる事によって自分は支えられていて、確かにそれは上手くいっているのではないか。そういう事です。大事な事は、その意味で、上手くいく事ではなく、それを支えている本当に望んでいる事かもしれません。