人は贅沢をもっと体験しても良いように思います。自分にとっての贅沢を、自分に与えてあげていいと思います。
問題になるのが、自分にとっての贅沢とは何か。
自分にとって、車を持つという事が贅沢なら、その贅沢を自分に与えてあげたらよいと思います。その贅沢は、きっと自分を満足させてくれるはずだし、幸せに感じさせてくれます。そのビジュアルも、その乗り心地も、その走行も、きっと全て贅沢なものです。そういう贅沢は自分だけの贅沢だし、大切にしたらいいと思います。
もしかしたら、自分にとっての贅沢は、食べ物かもしれません。お寿司かもしれませんし、ステーキかもしれません。そういう贅沢を、たまに自分に与えてあげたらいいと思います。凄く満たされた気分になるし、美味しいものが目の前に出された瞬間は、天にも昇る気持ちになります。
ひょっとしたら、空調が最適に調整された空間かもしれません。温度も湿度も気圧も、自分の身体にとって最適に調整されている空間に居たら、そんなに心地良い事は無いように思います。それは、きっと最高の空間になるし、最高の時間になります。身も心も最表面の皮膚も、全ての感覚がその贅沢を満喫します。時間が経つのも忘れそうです。
贅沢とはその意味で、その時間を忘れてしまうようなものかもしれません。時間というのはある意味では有限と言えますが、贅沢な時間というのは、その時間が永遠に続いてくれても良いわけで、その意味では、時間という概念を忘れさせてくれるものでもあります。
時間から解放されるという感覚も、それこそ、贅沢なことかもしれません。少なくとも、贅沢と言える事というのは、時間という感覚から解き放たれています。
贅沢は、余裕というものと関係しているように感じます。余裕が無いと贅沢を満喫する事は出来ない。そのようなものだと感じます。余裕が無いという状態は、多くの問題を引き起こしますが、余裕が無い状態というのは、贅沢な状態とは対極にあるように思います。
余裕とは、時間と関係していて、時間が無いという観念は、余裕が無い状態を生み出しますし、余裕が無いという状態は、実質的な時間がいくらあっても、時間がまるでないかのように過ぎていきます。
贅沢をするというのは簡単な事だと、何となく思ってしまいますが、案外難しい事です。お金が無いと得られないものようにも思いますが、お金が有りさえすれば贅沢がもたらされるかというと、そういうわけでもありません。
本人にとっての贅沢とは何か、贅沢を感じるだけの心の余裕はあるか、そう感じられる時間はあるか。そのような状況が整わなければ、贅沢は得られません。ましてや、贅沢を禁じていたら、贅沢も何もありません。