毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分自身は今という「生のダイナミズム」の中に在る

自分自身は、今この瞬間を生きているのであって、今この瞬間意識を集中させているのであって、その中にいるという事です。

自分という意識は、集中して存在している時もあれば、散漫になって失われ、無意識の海に溺れている時もあるわけですが、意識であれ無意識であれ、今この瞬間それらは今の中にあるという事です。

意識はもちろん自分の身体に基づいて創発され、統合され、分散し、形作られているわけです。

意識は、まさに、自分が生きているという事の現れであって、生きている、つまり、自分の生が、意識を今生み出しているわけです。

今、自分の生の営みがダイナミックにあって、今から今へと生はつながっているわけです。自分にとっての時間であり、自分にとっての今は、連続的な生のダイナミズムが生み出しているわけで、昨日と明日をつないでいる今を生がつないでいるわけです。

生のダイナミズムは、自分の全てのダイナミズムによるわけで、身体の隅々までに至る全てのパーツが、蠢き、連動し、躍動する事で、維持されているわけであり、それらひとつひとつの蠢きが生を生み出しているわけです。

それは、細胞のひとつひとつの蠢きであって、それらひとつひとつのダイナミズムが、全体としての自分という生のダイナミズムを作り出しているわけで、保持し続けているダイナミズムが、今をつないでいるわけです。

今無くして、明日は無いわけで、今この瞬間の連続性を、生がつないでくれているわけです。

意識は、そのような生のダイナミズムの中にあって、時間的でも、空間的にも、その中で保持されているわけです。

意識としての自分自身が今に在るのは、そのような生のダイナミズムのおかげであって、生のダイナミズムこそが、生きる源泉であり、自由の源泉であり、そこに自分のポテンシャルの全てがあるわけです。

生のダイナミズムから生まれる感情も気分も、すべて自分の今の中にあって、自分の生が尊いという事であれば、自分にとっての今は尊く、大切にしなければならないものであるわけです。

自分の色んな想いや自由、喜び、あらゆるものは、生のダイナミズムから生み出されるのであって、生のダイナミズムによる今の連続性の中で生み出されるわけです。

いかようにしても、今この瞬間をないがしろには出来ないし、一方で、自分自身は今この瞬間に支えられ、そして、今に気付き、意識を今に注げば、そこには生のダイナミズムがあり、すぐに自分の生を感じるわけで、そして、豊かさや喜びや自由は、そこから生み出されるわけです。