毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

時間として感じられる時間を作り、物思いに耽る時間に使う。

時間というものは、本当に「無い」と感じられます。忙しく過ごせば過ごすほど時間は無いと感じられます。余裕が無い時も時間は無いと感じられます。でも、それではいけません。

 

時間があるか無いかは、心の状態を反映します。心が忙しないと時間は無いと感じられますし、心に余裕があると時間はあると感じられます。時間に関して重要な事は、時計で測れる時間を時間として捉える事ではなく、どう感じるかです。

 

そのような意味での時間を時間として捉えた上で、時間は常に作り出さなければなりません。時間はどう感じるかが大事なわけですから、時間としてちゃんと自分が感じられる時間をいかに作り出すかが大事です。仮に1時間という時間を作ったとしても、それを心が時間として感じていなければ、それは時間を作ったとは言えません。

 

そのようにして、時間として感じられる時間が作れたら、その時間を物思いに耽るくらいの時間として使えるとなお良いです。特に何かをする時間ではなく、ただ単に考え事をする、物思いに耽る、ただそれだけに時間に使うという事です。そんな望ましい時間の使い方はありません。

 

物思いに耽る時間を作ったら、あれこれと、気になっている事が頭の中に浮上してきたりします。無意識下にあったものが、潜在意識にあったものが、顕在化してきます。そういった事について、あれこれと考えを巡らせる。そういう時間に当てるのが良いと思います。思いがけない発見があります。気づきがあります。

 

そして、普段しないような、「問い」を発してみるのも良いと思います。「問い」は人間にこそできる人間らしい振る舞いです。人工知能にはなかなかできません。人工知能は、「問い」そこにあればそれに対する答えをいち早く導き出す事は出来ますが、「問い」そのものを立てる事は出来ません。それが出来るのは人間です。この「物思いに耽る時間」を、人間らしい時間に使うのはとても良い事です。そのようにする事で、新しい自分を発見し、新しい自分を作り出せます。自分に自然に備わる能動性を発揮して、自発的な自分を育てます。

 

物思いに耽る時間を有意義に使う事で、より自分らしく、または、新しい自分を育みます。それこそが大事な時間であり、時間はそのようであるべきです。そのように感じられる時間こそが時間です。

 

時間が無い。忙しく余裕なく過ごしているとそうなります。でもそれでは自分にとっての本当の時間はありません。そうではなく、ちゃんと時間として感じられる時間を作り、そして、物思いに耽る時間に使う。こういう事が大切です。