毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

諸行無常の世界での自分の振る舞い。自然。

諸行無常という観点から、自分がこの世界でどのように振る舞うか。それは、少なくとも、関係性の中で、生きていくという事を考える事になると思います。常に移り変わり続けるわけですから、その移り変わる世界の中で、自分もその世界とともに移り変わっていく。その為には、その移り変わっていく事をスムーズにするように、上手く関係していくという事になります。

 

自分も当然世界の一部であるわけだから、その世界を機械仕掛けのように捉えて、自分自身を機械仕掛けの一部だと見なすと、当然その歯車として、一緒に回り続けるという事になります。その一部としての回転によって、全体の関係性に貢献するという事になります。それが、その世界の中で、世界とともに関係するという事になります。

 

また、この世界は、同一の歯車から成るわけではなく、多種多様な歯車から成るわけだから、その事を考慮すると、他の歯車と同一な回転を絶対しないといけないわけでもなく、周りの、一部の周辺の歯車と、ともに回転できればそれで十分とも言えます。

 

ただ、より速く回転すればより速い回転を伝える事も出来るし、ゆっくり回転すればゆっくりした流れを伝える事も出来ます。一方、速い回転が伝わってきたら自分もそれとともにその回転は速くなるでしょうし、一方でゆっくりとした回転が伝わってくればそれに応じて自分の回転もゆっくりになるわけです。

 

いずれにしても、関係性の中にあるわけですから、周辺に、および、全体に、影響はもたらされてしまうし、一方で、影響を受けてしまうわけです。常に移り変わる世界では、そのような事態は避けられません。

 

また、関係性の中にあるからと言って、無理に関係しようとする必要も無いという面もあります。自分なりの関係性が、結局自分の身を助け、全体への貢献にもなります。

 

多様性は、諸行無常の世界とは相性は悪くはありませんから、その多様性としての自分なりの関係性のあり方が、世界への多様な関係性のあり方として反映されて、より諸行無常の世界は移り変わりやすくなります。

 

諸行無常の世界は、多様性に対する受容性は大きいので、自分らしさはそのまま受容されます。自分自身の自律性と、自分なりの関係性でその世界の中に居れば、自然と良い関係性が構築されます。

 

要は、諸行無常の世界の中では、肩の力を抜いて、身を置き、自然とその中で関係性を持ち、自分の可能な範囲での自律性を持てば、それで十分という事になります。諸行無常の世界の中では、自然で良いという事です。