毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分はどう生きていくのか。真剣に考える。

日常に埋もれていると、自分はどのように生きていきたいのか、という事を考える事を出来ずにいたりします。そのような問いを自分にする事はとても大事な事だと思うのですが、日々の忙しさ、余裕の無さ、に埋没してしまって、ずっと出来ないまま月日が経ってしまいます。

 

人間は考える生き物なのですが、ちゃんと考える事がなかなか出来ないという事はあると思います。心に余裕が無いと、自分は何をしたいのか、自分にとって何が大事なのか、といった事をちゃんと考える事は出来ません。自分自身が安心できる状態でないと、自分と向き合う時間や余裕なんてありませんし、そのような安心が仮に得られたとしても、そのように自分と向き合って考えるという事にも気付けません。

 

生きている間の大半の時間は、生きていく為にはどうしたらいいかという、生存に関わる事に使ってしまってしまいます。それはある意味で当然で、生きていくという状態に対して安心が得られなければ、その上で、自分はどう生きていきたいのか、という事について考えるに至る事は出来ません。

 

ですが、それだけではずっと生存のためにただ生き続ける事になってしまって、十分に生存できる状態になったとしても、また、生存できる状態になって安心感が得られたとしても、それ以上より良く生きていく事が出来なくて、ただひたすらにより安心を得るため、より生存可能性を上げる為だけに生き続ける事になります。それは、全然幸せな事ではありません。ぽっかりと自分の中心に穴が開いたままで、苦しい事です。

 

だから、自分にとって何が大事なのか、自分はどう生きたいのか、自分はどういう事に価値があると思っているのか、そのような自分に関わる問いをたくさんする事が大切です。そのような自分への問いを自分でするようになって、ようやく自分らしい生き方が出来ます。

 

そのように考える事はある意味慣れないことかもしれません。あんまりそのように考える事が無かったからです。だから、練習が必要です。そのような時間を出来るだけ作って、一体自分は何を大切にしているのか、考えるべきです。

 

そして、本気になって真剣に自分に問うべきです。この「真剣に」自分に問うというのが案外難しい事です。それは、その事を本当に自分がそう思っているのかどうか、大事だと信じているのかどうか、分からないからです。明日になったら全然そう思っていないかもしれません。だから、練習の意味も含めて、自分に対してそのように問う時は、全力で、真剣に問い続ける事が大切です。自分は一体何を大切にしているのか、自分はどのように生きていきたいのか。それが考えるという事です。