毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

日々の煩悩を滅して、今日という1日を大切にする。

気が付いたら仕事の事ばかり考えていて、それ以外の事に考えが行っていない事に、時折気付きます。仕事自体は充実していたりしても、ある時、不安になったり退屈になったりして、頭の中は目まぐるしく展開して大忙しです。そして、何か軽く疲労を感じたりもします。

 

人間はどうしても、不安な事、サバイブしていく事に本能的に引き付けられて、それらに囚われてしまうので、そのままその事を放っておくと、何か幸せになっていく感じが全然しません。ウェルビーイングという観点から、その生き方はちょっと違うなと感じます。

 

日々起こっている事、関わっている事についてずっと囚われていると、ずっとそれらの不安な事について思い悩み続けるわけですが、こういった事を煩悩というんだと思います。ずっと思い煩っていても、そんなに解決するわけでもなく、かと言って、何か解決したように思っても、また似たような悩みが浮上してきたりします。そして、結局同じような悩みを持ち続ける事に気付きます。

 

上に不安と書きましたが、要は、人間は、よく分からない事、どうなるか分からない未知の事に不安に感じてしまうところがあって、そのよく分からない未知のものを明らかにしようして思い悩んでしまうんだと思います。このような煩悩は、結局のところ、滅して、考えや気持ちは、違うところに、違う空いたスペースに向けていく事が大切なように感じます。

 

とは言え、結局、何について考えればよいか、何について気持ちを向けていけば分からないわけです。そもそも、基本的に、日々が不安に基づきながら生きていたりするので、その事に慣れ過ぎて、どう何もないスペースに気持ちを向けて考えていったりいいか、分からないわけです。

 

そういうある種の「退屈さ」というのに、慣れていないので、というより、退屈さが不快なので、いつもの思考、いつものパターンに逃げ込もうとしてしまいます。

 

ですが、そうではなく、まずは、遠い未来は分からないまでも、今日という1日をどうするかという目前に迫った現実についてはどうにかできるかもしれません。今日という1日に気持ちを向けて、今日という1日を大切にする。そこからが第一歩という気がします。

 

なかなか、まるで癖のようになってしまっている囚われや煩悩のような日々を、生活習慣としての煩悩の日々を、いかに無くして、いかに滅して、前に進んでいくかが大事だと思います。まずは、今日という1日から始めてみて、今日という1日を大切にするのは良いと思います。