毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人は、喉から手が出るほど欲しいものは手に入らず、ただやっているものは手にしている。

人というのは、喉から手が出るほど欲しいものほど手に出来ず、そうでもないと思っているものは手にしている。そういう事って本当にあると思います。

 

どうしても結婚したい。でも、結婚できない。一方で、仕事に就けていたりはする。でも、仕事が出来ているという事は別に自分にとっては別にどうってことない。そういう事ってあると思います。

 

また、どうしても仕事をしたい。でも、出来ない。一方で、恋愛は出来ていたりする。恋愛する事には困っていないから、恋愛なんて大したことないと思っている。

 

また別の場合だと、出世したい。でも、出来ない。ですが、結婚はしていたりする。ですが、結婚する事は難しいとも思っていなくて、結婚している事自体は特に価値も何も感じない。

 

人というのはそういう仕組みになっていて、人が持っているものが羨ましくてしょうがなくて、まるで決してそれは自分には手にする事が出来ない。手にしたくてしょうがないのに、どうしたって手に出来ない。持っている人が憎くて、また、嫉妬にかられてしょうがないが、まるで運命のようにそれが手に入らない。そういうわけです。

 

一方で、自分は何気なく手にしているものがあって、でも、それ自体にはそんなに価値を感じていない。でも、他人からするとそれが羨ましくてしょうがないらしく、でも、自分はそんなに必要なものだと思っていない。

 

人は、あんまり欲しいと思い過ぎていると、だいたいそういうものは手に入らないようになっています。欲しいと思い過ぎると、逆に遠のいていくわけです。

 

実際、それに過剰に期待し過ぎていて、それを手にすれば、自分の価値が上がると思い過ぎていて、そして、手に出来ない。

 

一方で、手にしている事に関しては、そんなに過剰に期待をしていないから、何気なく手に出来ていて、過剰にそれに価値を感じていない。

 

なぜ、欲しいものが手に入らないのか。それは、もしかしたら、それに過剰に期待をし過ぎていて、でも、実際はそれ自体を得るための事は何もやっていなくて、だから、当然できていない。それだけかもしれません。

 

また、何故それを手にしているのか。それは、それにそれほど期待するまでもなく、当然の事として、自然な事として、その事に関心を持っていて、その事に集中して、それを得る為の事にエネルギーをかけてやっているからかもしれません。だから、当然の結果として、ただそれを手にしているだけかもしれません。

 

そういう意味で、人は、過剰に期待している事を手に入れる事は出来ず、ただ、普通の事としてやっている事を普通に手にしている。そういうものだと思います。