毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

仕事も家事も遊びも何でも、苦しんでやるより楽しくやる方が良い。

毎日生活をしていると、家事をしたり、仕事をしたり、色んな事をするわけですが、それらは意外と大変で、いつも疲れていたり、また、不安や心配事につながっていたりします。特に仕事は不安や心配事が多く、いつも悩んでいたり、苦しんでいたりします。でも、本当は、そうやって苦しむ事は本質ではないと思っています。

 

不安な事や心配事は自分に対して何らかの身体からのサインではあるのですが、仕事だと特にそのようなサインを身体が発する事が多くなります。会社に勤めている場合、仕事をやって結果や成果を残してお金を得ているわけで、今の生活を支えているわけです。だから、今の生活を支えていく為には、仕事はやらなければならず、そして、それに伴って不安が生じてしまうわけです。

 

社会は、ある面においては、経済的なシステムが人々の営みを成り立たせているわけで、その経済的な活動の全体性が、人の暮らしを豊かにし、人々が生きていきやすくなっていきます。なので、お金に関しては、お金は稼ぐだけではなく、お金は使わなければ、経済の全体は成り立ちません。結局お金は、人々の生きていく活動の為の代替物に過ぎず、本質は人々の生きている活動そのものです。それがある意味それらの活動が活発化して、人々が豊かに生きていける社会になれば、それが最も良いわけです。

 

そういう意味では、仕事と家事は、人々が暮らしていくという観点からは、基本的に同じです。単に、仕事の方が個人的な事より社会的な事に関与している割合が高いだけです。特に、その要因の1つがお金であり、仕事をするとお金が得られる、という仕組みが、家事と、いわゆる仕事のニュアンスを分けています。

 

お金の本質は、人が暮らしていく為に必要なものであって、経済全体では、回っている事が最も良いわけです。

 

だから、遊ぶという事についても、広く言えば、家事や仕事と変わりません。人の営みが人々にとって最も重要というように考えると一緒です。仕事はお金を稼ぎ、家事はお金を生まず、遊びはお金を使うだけ、というのは、実際には違います。仕事も家事も遊びも、人々の活動、人々の営みという点では一緒で、単に、お金の回り方が違うだけです。本質はお金ではなく人々の営みです。

 

そのように考えると、仕事は不安や心配事がつきもので苦しみにつながっているとか、家事もある面大変で苦しいというのは勿体ないように思います。人の営み全体の事を考えると、仕事も家事も、遊びと同じく楽しい方が良いし、そのような仕組みで社会は営まれていった方が良いと思います。

 

なので、仕事でも家事でも遊びでもなんであれ、楽しいんでやれるようにしていきたいと思います。