毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

感じる力を活かしたい。言語的思考より感情的思考が大事。

音楽が、自分の気持ちを変えてくれるときがあります。自分の頭の中で、にっちもさっちもいかなくなっていくら考えても前に進めないと感じるとき、音楽を聴くと、自分の中で何かが変わって、何かこれまでの考え方とは違う方向に行けるような気がします。

 

そんなとき、いつも、「感じる」という事は大事だなって思います。

 

音楽を聴いている時、単に耳の聴覚が反応しているだけではなくて、皮膚や身体全体に何かを感じる事もあるし、頭や心で感じる事もあります。何か頭もすっきりしたりして、「感じる」というのは人間にとって奥深く、幅広い可能性を感じます。

 

デカルト心身二元論というものがあります。心身が分離しているという観点で“私”を考えた場合、「感じる」とは一体私が感じていると言えるのだろうか、と思ったりします。音楽は明らかに身体で感じているし、それを通じて心が感じていると言えます。身体から分離された私という観点からすると、「私は音楽を聴いて何かを感じている」と言った場合、音楽は心、この場合では頭、で感じている事になって、身体では感じていない事になってしまい、おかしな感じになります。

 

メルロ=ポンティの身体の現象学で考えると、私=心は、身体から切り離されたものとはみなさず、私の一部である身体が、世界としての音楽に向かいながら音楽に属しつつ音楽とともにその状況を共有し、身体と音楽との間で生み出された「新たな音楽としての意味」を身体が覚えるような形で“感じる”、というようになると思います。音楽を「感じる」事を、明らかに身体が作り出してくれています。

 

思考というものには、認知心理学の考えを取り入れると、「意識的に考える」といういわゆる一般的な思考と、「無意識に考える」という意味での感情という思考という考え方があります。意識的思考と無意識的思考です。意識的思考とは、論理的で、言語的で、分析的、です。無意識的思考とは、感情に基づいて感じる事であり、意識的思考とは異なる意味での、感じる思考です。

 

一般に、人が思考する、考えるというと、言語を伴います。頭の中で言語を使って論理的に分析的に考えます。ですが、明らかに、音楽を聴いたときに「感じる」というものとは違います。ですが、いくら言語的思考で考えても突破できなかったものが、音楽を聴いて感じて、つまり、感情的な思考によって突破できるときがあります。

 

この感情的思考は、言語的思考とは、思考の方向性や次元のようなものが違います。ですが、感情を活かして感じる=考える事を人はやっています。言語的に「分かった」という感じではないですが、言語では表現できない何かが感情的に「分かった」となります。不思議です。

 

きっと、人間の言語的思考では理解できない「理解」が感情の中にあるんだと思います。それが感情的な思考であり、感じるという事だと思います。

 

そのような「感じる」力をもっと活かしていきたいと思います。