毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

体調を維持するためにやっている最近の習慣

身体の調子を良くしたい、維持したいという事で、幾つかの習慣に取り組んでいるのですが、最近までにやっている習慣について、自分へのおさらいも含めて、書いてみようと思います。

 

習慣ですので、基本的には毎日取り組んでいます。それでとりあえず、短い期間の習慣から書いていこうと思います。

 

まず、軽いストレッチです。”軽い”というのは、あまりハードにならない程度の軽めという意味です。何故軽めにしているのかというと、毎日の生活習慣としての習慣化には、2週間くらいの継続が必要だと思っているので、最初は軽めで続けやすいものが良いと思っているからです。まだ、たったの4日目です。基本は朝に、下半身の股関節、骨盤回り、そして、肩甲骨周りをストレッチしています。やり方は、良いYouTubeがたくさんあるので、それらの先生方の動画を参考にしながらやっています。私は、猫背気味で姿勢が悪く、また、血行不良の感じや股関節回り、腰、肩が痛くなるので、日々のストレッチで改善していこうと思っています。これからという感じです。

 

次に最近が始めたのが、軽い筋トレです。今日で12日目のようです。続けられるように1分程度で終わる簡単にできる事として、膝付き腕立て伏せ10回筋トレ10回から始めました。夜の習慣として始めましたが、朝にもやるようになって、背筋もやったりしています。これをやると、身体の活性が上がるので、憂鬱で元気のない朝などに効果的だと感じています。

 

身体に直接アプローチするものではないですが、朝食抜き生活です。3か月半は経っています。基本的に一日3食食べていたのですが、いつもお腹が張っていて、お腹が空くという事が長らくなかったので、妻の提案により始めました。今の時点の感想としては、良好という事です。私は元々やせ型の方で痩せる事を目的とはしていません。始めた頃から2kg程度減っている感じで、それは個人的には良い事ではないのですが、だからと言って、それで体調が悪くなったという感じはしていません。食べる事は大好きで、今まで中途半端に毎食食べ過ぎならないように気にしていたのですが、今は昼と夜の食事の量を気にせず食べています。そして、もう少し食べたいという時は、たんぱく質の量を多めに摂るようにしています。午前中にお腹も空くようになって、だいぶ胃腸を休められるようになっているんだと思います。

 

あと、軽いスクワットです。もう半年は経ちました。朝にお風呂に入るときに、シャワーの水がお湯になるまでの暇な時間を使って、15回程度やっているものです。裸でやる事がないので、スクワットでもやるかという乗りでやっていて、習慣化に成功した例と言えると思います。

 

そして、瞑想です。これは体調を整えるという意味合いよりかは、精神的にきつい時や落ち着かない時にやる事に効果があるような感じです。もう7か月はやっています。毎朝、呼吸に集中しながら5分とか10分とかやっているのですが、最近はストレッチと混ぜながら瞑想ストレッチという感じで、心を静かにやっている事もあります。毎日の身体の状態のチェックには非常によく、目が疲れているとか、肩や腰が痛いとか、自分の状態に気付けています。また、何に悩んでいるのか、気にしているのか、そういう自分の内面にも気付くようになっています。瞑想は、生活の基本という位置づけで、心を落ち着かせてその状態から始める、という感じでしょうか。

 

最後に、テレビ体操です。これは、もう5年以上は続いています。それより以前まで、かなり頭痛に悩んでいて、ひどい頭痛の時は吐き気も伴う事もありました。それで、病院に幾つか行って脳の検査もしてもらったのですが、結局どこも悪くなく、運動不足が原因だろうという事でした。確かに、姿勢は悪いし、運動も大してやらない。そういうわけで、軽めの運動はないかなという事で辿り着いたのが、NHK教育の朝のテレビ体操でした。今でもたまに頭痛にはなりますが、以前と比較すれば全然大したことはなく、今では毎日の生活習慣の一部になっています。

 

そんなところでしょうか。書いてみるとたくさんやっているようですが、大半は習慣として定着しているので、普通の事になっています。今は、ストレッチと筋トレを習慣化したいという感じです。また、何か変化があったらお話ししようと思います。

絶望と思考。人は何度もリボーンする。

絶望感とは、非常につらい感覚です。脳が絶望を感じるわけですが、それは脳を非常に不快にし、絶望感は人の生きる気力を奪います。絶望感の原因となる内容は分かるときもあれば、分からない時もあります。その内容が頭に浮かぶと、人は容易に絶望感を感じます。絶望感の原因は人それぞれで、自分にしかわかりませんが、その自分すら分からない時もあります。でも、絶望の感覚は、誰しも知っています。

 

今回は、人は絶望を、思考に受容し乗り越え、その繰り返しにより何度も再生(リボーン)する、という事についてお話しします。

 

絶望は、自分の未来に対する希望や願いが断ち切られ、未来が実現できないと分かった時に感じられるつらい感覚です。希望のない状態。脳が、その希望のない未来をストレスとして感じている状態で、非常に不快です。未来への希望や願いが達成できると思うと、そのストレスは消え去ります。達成できないと思うと、その未来の問題は未解決なままとなり、高いストレスが維持されて、絶望感を感じます。

 

思考は、未解決な問題、不確定な未来を脳内でストレスに感じて、これを解決しようとする脳の活動です。不確定な未来、不安な未来の問題の解決を、自分のこれまでのあらゆる記憶や経験にアクセスして、また、論理を活用して探ります。思考とは、不確定な未来の問題の解を見出そうとする脳内の活動です。解を見出せないと絶望し、見出す事を諦めると鬱になります。ストレスにさらされ、そのストレスを問題の解を見出す事で取り除くとストレスは消えますが、見出せないとストレスは高く維持されたままで、ストレスが長くなり過ぎと脳のキャパシティーを超えて、絶望から鬱になります。

 

したがって、絶望の原因を思考によって探り、その解答を見出す。この事が重要になるわけです。絶望は本当につらいですが、しばらく苦しんだ後、その絶望の源となる原因を思考により探ります。そして、自分なりに、その不確定な未来に対して解答を出します。しばらくして、その解答が間違いであることに気付いたら、また問題は依然として未解決なままとなり、絶望します。そしてまた、その絶望に打ちひしがれながら、その原因の内容に思考により迫り、向き合い、新たな解答を見出す。

 

絶望感は人から生きる気力を奪い、前に進もうとする足を止めます。脳が、解決できない強いストレスを感じているからです。そして、絶望の原因を思考力により探り、その問題の解を見出します。そのプロセスは、絶望の原因に迫るわけですから、否応なしに脳の不快感は高まり、とてもつらいものです。でも、思考によって解を見出し、また絶望したのち、また新しい解を見出す。そのようなプロセスを通して、絶望を受容していく。その未来への希望や願いは叶わないかもしれません。でも、受容して新たな解決策を見出していく事によって、これまでの未来への希望や願いを持っていた自分から、新しい自分に生まれ変わる。再生していく。このようにして深い絶望を思考によって乗り越えていくものだと思います。

 

人はそれぞれ絶望を抱えていて、未来に向かって生きていく力を失いかけます。ですが、思考力により、絶望を受容し乗り越え、リボーンする。再生した新しい自分はまた、次の絶望に打ちひしがれるかもしれません。でも、また思考によりリボーンする。人はそうやって、何度でもリボーンする生き物だと思います。

絶望と退屈と欲望のサイクル。主体的自己を形成して生きる。

人は、ある時深い絶望を感じながら苦しんで、またある時暇で退屈な時を経験して苦しみ、そして、調子が上向いてきたら、自分の欲求や欲望にしたがって前向きに生きているように思います。これらの事をハンドルしながら結局人は、それらに基づいて生きているのではないか。という事についてお話ししようと思います。

 

絶望は、非常にネガティブな感情で、つらく苦しい感覚です。生きるのに、絶望感はそれを困難にします。人にはそれぞれの絶望があると思いますが、絶望的な状態だと、未来に希望を持てず、生きる意味を見出せず、生きるのを止めたいとすら思うと思います。絶望感は、言葉で説明するのは難しく、その絶望感という感覚が、自分に絶望感を教えてくれます。でも、その絶望感は他の人と同じ絶望感かどうかは分かりません。他の人の感じている感覚は分かりませんから。でも、人は絶望感という感覚を知っています。その感覚がつらいからです。そのつらい感覚が絶望感であることを自分だけが知っています。言葉で、その絶望感を説明しようと試みることはできますが、言葉でその絶望の感覚を説明する事は難しく、絶望感と言えば他の人も分かってくれる、絶望感とはそのようなネガティブな辛い感覚です。

 

そして、退屈です。これもけっこうつらい感覚です。暇で退屈。ある種、自由の観点からは、非常に自由なのですが、人間にとって退屈という自由はなかなかに耐え難い感覚です。この退屈をどうにかしようと、ドーパミンに誘発されるような行為に耽ったりして、退屈さを紛らわそうとします。そのくらい退屈感は煩わしく、そのままではいられない状態です。

 

このような絶望感や退屈感を、人は行き来して苦しみの体験をしています。仏教では、この苦しみをいかに軽減させるかという事になります。

 

また、人は欲求や欲望にしたがって生きていようとします。絶望や退屈の世界だけで生きるのはあまりに辛く、自分にとっての快の感覚にしたがって生きようとします。食欲でも何でも、快なものを求めて生きると、心地良く生きられます。

 

それら、絶望や退屈や欲望は、いずれも感覚に基づいています。その自分だけの主観的な感覚に基づいて、絶望や退屈に苦しみ、欲望を満たしながら生きているわけです。そのような感覚に基づいた主観的な体験を人は生きています。

 

絶望感や退屈感という感覚も、しっかり向き合えば、自分が何に深く苦しんでいるのか、何が嫌なのか、そして、本当は何を求めているのか、求めていたのか、が分かってくることもあります。その意味では、前向きに生きていく為には、絶望や退屈のネガティブな感覚の中にもヒントがあります。

 

そして、そのような絶望や退屈のネガティブな感覚も含めて、自分は何を求めているのか、何に喜びを感じるのかを探る事ができます。そして、自分が深く求めている事が目的になっていくように感じます。どことなく、生きる目的とは、欲求や欲望などの感覚に基づいたもの、もしくは、まるで欲望そのもののように思います。

 

そのようにして、人は、絶望や退屈というネガティブな感情に向き合いながら受け止めつつ、そのようなネガティブな感覚とともに、欲望を自分の中で消化したものを目的として、それに基づきながら主体的な自己を形成して生きていくものだと思います。

 

人はみな、絶望や退屈を行き来して苦しみながら、欲望を持って生きています。絶望と退屈と欲望のサイクルの中にいます。そして、そのような感覚を通して主観的な体験をする事で生きています。感覚こそが生きる体験の源でありながら、それらに向き合って消化しながらそれを目的にして、主体的な自己を形成して生きていく、人生とはそういうものではないかと思います。

朝に身体を使う習慣は良い。軽くストレッチと筋トレと体操。

朝起きて調子が出ない時ってあると思います。最近の自分はそうです。それで、朝に色々と身体を動かす習慣を身につけようと取り組んでいますが、それがけっこういいように思っています。

 

朝起きても、まだ頭がぼやぼやしていて、頭の中が反芻思考で前日までの思考の断片にもまみれていたりしますから、ポジティブな事だけでなく、ネガティブな事も湧いてきて面倒に感じます。そういう時に、何かあれこれ考えようとしても、良い思考にはなりません。だから、朝起きて、そんな状態で何か頭を使う事をしようと思うよりも、身体を動かすことがした方が良いと思います。

 

それで、早速朝からストレッチを始めました。習慣にしていく事が目的でもあるので、やり過ぎないように、5分程度という事で、肩甲骨周りや腰回りを重点的にストレッチしました。使っているベッドが身体に合っていないのか、起きたときに腰が痛い事があるので、朝のストレッチは効果的だと感じています。

 

そして、筋トレですが、これも続けられるように、1分程度の短めの筋トレになるようにしています。今まだはじめてから1週間程度なので、負荷も低めです。相変わらず膝をついての腕立て伏せと腹筋を10回ずつやっています。背筋も10回くらい加えてみたりしています。この軽めの筋トレをスタートしたときは、基本的に夜にする事でスタートしたのですが、朝にするにも良いと感じています。今後、メニューを変えながら取り組めると良いなと思っています。朝は、静かですし、ストレッチを軽くやった後にそのまま筋トレもやれば、スムーズにやれる感じがします。

 

これくらいで、身体は十分起きてくる感じがします。その上で、いつもやっているNHK教育のテレビ体操を10分程度やっています。これはもう何年も継続してやっていて、習慣として定着しています。頭痛の軽減や自律神経を整えるためにやっている事で欠かすわけにはいかない習慣です。

 

実際、起きてすぐは、ぼやぼやした頭で、妻と自分の分の昼食の準備をしています。野菜やフルーツを切ってサラダやフルーツヨーグルトを準備して、前日に作ったタンパク質のおかずも一緒に弁当に詰めています。4か月近く前から朝食抜き生活を送っていて、いまだに朝は飲み物くらいしか摂取していません。朝は朝食の準備はなく、昼食の分の準備だけです。

 

そんな感じで朝を過ごしていると、頭はけっこう起きてきます。身体の調子も上がってきますから、一石二鳥という感じです。上でやっている事は一部は習慣になっているので、負荷もそんなになく、快適な朝を過ごせているように感じます。

 

今後、こんな感じで、朝に加えたストレッチと筋トレを習慣化できるように取り組みながらやっていこうと思っています。

身体を使う習慣を始める。朝からストレッチ。

最近、頭を使う習慣より身体を使う習慣が良いという事で、毎日の習慣を少しずつ改善しています。そこで、これから新たに、朝にストレッチの習慣化に取り組みたいと考えています。

 

頭を使うという事は、考えたり思い悩んだりして脳に負荷をかけるわけで、脳の作業をやみくもに習慣化すると、頭が疲れてしまいます。私の場合、仕事の他、英語の本読みや、日本語の本読み、その他の勉強など、頭を使う習慣はいくつかあって、また、仕事や人間関係でのストレスなどで思い悩む事も多いので、頭であれこれ考えてどうにかしようとするより、頭がそれなりに疲れているので、それよりも、身体の血行を改善させたり、頭や身体をリラックスさせたりして、身体にアプローチする方が有効だと感じています。

 

最近、身体を使う習慣として、朝に10分程度テレビ体操をやったり、お風呂前の15回程度の軽いスクワットをやったり、夜にも、10回程度の膝付き腕立て伏せや腹筋をやるようになりました。腕立て伏せと腹筋ははじめてまだ1週間程度なのでこれからという感じですが、このような軽めに身体を使う習慣は継続しやすく、身体を整えられるという事で、とても良い習慣だと思っています。

 

以前に、自分の身体を使う習慣を振り返った時に、上半身を中心とした筋トレを始めたいという事で、膝付き腕立て伏せや腹筋の習慣化に取り組みはじめたわけですが、もうひとつ、姿勢が悪いから姿勢を改善する習慣を始めたいと思っていた事も思い出しました。

 

それで、以前から時々取り組んでいたストレッチを、朝の時間に取り入れて習慣化しようかと考え始めています。

 

最近、朝は起きてしばらく頭が疲れている事が多く、身体を使う方が快適だと感じるようになりました。朝は基本的に、上に書いたように、10分程度体操をやっているのですが、体操を始めるまでの時間が空いていて、その間に身体や頭の調子が上がってこず、もやもやしていたりするので、膝付き腕立て伏せや腹筋もやってみたりしていました。そうすると、身体が適度に刺激される感じになって、頭も起きてくる感じがあったので、朝は身体にアプローチする習慣が良いと思うようになりました。

 

朝はまだ外も比較的静かで、心地良い時間でもあるので、瞑想するように、ストレッチをするのも良いかなと思っています。筋トレと同じであんまり最初からハードに始めると続けられないので、5分程度で済みそうな軽めのストレッチから始めたいと思っています。自分は猫背で姿勢が悪く、骨盤回りが固いので、基本的に、肩甲骨周りや腰回りのストレッチをやりたいと思っています。

 

というわけで、これからですが、朝からストレッチの習慣化に取り組みたいと思います。

軽い筋トレ1分で1週間毎日継続。膝付き腕立て伏せと腹筋。

筋トレを習慣化したいという事で、軽い筋トレで始めてみたのですが、1週間継続できました。今回は、その事について簡単にお話ししておこうと思います。

 

とりあえず、目的としては今言ったように、筋トレを習慣化したい、継続したい、という事で、ハードな筋トレだと続けられないという事から、軽い筋トレをする事にしました。

 

私は普段、10分程度の朝のテレビ体操と、朝のお風呂に入るときに15回程度のスクワットはやっていて、その他運動と言えば、通勤時や会社内での歩行くらいでした。それで、上半身も少しは鍛えたいという事で、腕立て伏せと腹筋をする事にしました。でも、最初からハードだと続けられないだろうと思ったので、腕立て伏せは膝付きの腕立て伏せにしました。これでも中高野球部なので、腕立てはガツガツやっていましたが、もはや長らく体たらくだったので普通の腕立てはできません。腹筋はリビングルームに椅子があるので、椅子に足をのせてやる事にしました。回数は、膝付き腕立て伏せ10回、腹筋10回です。1分もやったかやってないかという時間です。

 

また、外に出かけてジムなどでやるというのではなく、今の生活習慣に上手く取り入れる形で家の中で簡単にやりたかったので、リビングルームでやっています。筋トレするには十分なスペースがあるので、そこを使ってやっています。

 

時間は夜にする事にしました。一応忘れないようにスマホのアラームをセットしていましたが、実際には気付かず、でも、毎日ちゃんと思い出して、一週間継続できました。

 

この、軽い筋トレというのは、1分程度の時間でしかも負荷が低いので、簡単に取り組みやすいというメリットがあります。そして、はじめてしばらくは夜の9時くらいにやっていましたが、だんだん慣れてくると、思いついたらすぐできる感じになりました。

 

家の中でも、もやもやとして気分が冴えない時などに、気分転換として、1分程度さっと筋トレするみたいな感じで、やれましたし、朝もなかなか頭が立ち上がらない中で、1分程度軽く筋トレをすると、身体が軽く活性化されるみたいな感じで、思い出したらいつでもできる感じになってきました。

 

とりあえず、続ける事が今の目標なので、あまり負荷をかけ過ぎて嫌にならないように、軽い筋トレを続けています。

 

また、軽い筋トレで効果があるのだろうか、という事も気になっていたのですが、実際大して身体を使っていなかったので、効果はあるように感じます。ネットで調べると効果がないという記事もありましたが、普段身体を使わずに過ごしている人にとって効果が無いとは思えません。別の記事に自律神経を整えるという事が書いてありましたが、その効果はあると思います。

 

という事で、とりあえず、軽い筋トレながら一週間継続できました。本当は、メニューを日毎に変えたりして色々と工夫をしていきたいのですが、今は習慣化する事が目的なので、こんな程度で良いかなと思っています。2週間くらい継続できたら、少しずつ改善していきたいと思っています。

落ち着かない朝。何かを始めようとする前に瞑想とセルフケア。

落ち着かない朝。最近、仕事の事や色んな事で頭がもやもやして、何かを変えたい。新しく何かを始めないと。でも、何をしたいのか思いつかない。

 

いつもの朝なら、ブログを書いたり、英語の本を読んだり、一通り朝の支度をした後に瞑想をするのですが、今朝はそんな落ち着かない朝だったので、瞑想するには集中できなさそうで難しいように思いつつも瞑想を行ってみました。

 

リビングルームのカーテンを開けて窓も開けて、窓に向かって椅子に座りました。目を閉じて、深呼吸をするように呼吸をゆっくりにして、呼吸に意識を向けました。そしていつものように、身体の痛いところとか違和感のある所をチェックしました。

 

すぐに気付いたのは、目の周りが疲れている感じです。眉間の辺りとか、目の奥とか。いつも目の周りは疲れているのですが、瞑想を始めてすぐ気づきました。目の周りから額や頭部にかけても重い感じが広がっていました。

 

そして、腰回りが痛い事にもすぐに気付きました。椅子にきちんと座るのも違和感がある感じだったので、瞑想をしながら足の付け根辺りのストレッチをしました。いつも腰回りは痛くなるので、どのようにストレッチをすれば楽になるかはよく知っています。なので、痛みを取り除くのはそんなに難しい事ではありません。

 

この2つの気づきで、随分とリラックスしてきているのに気づきました。最近は仕事で頭も忙しい感じになっていて、今日は朝から落ち着かない感じになっていたのですが、より観察してみると、身体はそれなりに疲れていました。そういうわけで、今日は何かをやろうと意気込まず、リラックスして過ごす事にしました。

 

さらに、瞑想を続けると、肩も少し痛い事に気付きました。これもいつもの事ですが、リラックスしてゆっくり自分に向き合わないと案外気付かないものです。目や頭が疲れているとか、腰が疲れているとか、そういうのもいつもの事だし、肩もそうです。もっと自分の身体を気遣ってやらないといけないなと思いました。その意味でも、今日は焦らずリラックスして過ごす日です。

 

外からは、車の音や鳥の鳴き声が聞こえてきます。そういう色んな音に耳を傾けながら、瞑想を続けていると、リラックスし過ぎてしまったのか、半分眠っているような感じになってしまいました。しばらくして気付いて、瞑想を止めました。でも、完全に寝ていたわけでもなかったし、起きているのと眠っているのの半々という感じになってように思います。それでも、随分とリラックスできたことに気付きました。

 

そんなわけで、今日は自分を変えようとか、何かを始めようとか、無理に自分を動かそうとせず、リラックスに努めて、自分の身体をケアする一日にしようと思います。