毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

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絶望と思考。人は何度もリボーンする。

絶望感とは、非常につらい感覚です。脳が絶望を感じるわけですが、それは脳を非常に不快にし、絶望感は人の生きる気力を奪います。絶望感の原因となる内容は分かるときもあれば、分からない時もあります。その内容が頭に浮かぶと、人は容易に絶望感を感じます。絶望感の原因は人それぞれで、自分にしかわかりませんが、その自分すら分からない時もあります。でも、絶望の感覚は、誰しも知っています。

 

今回は、人は絶望を、思考に受容し乗り越え、その繰り返しにより何度も再生(リボーン)する、という事についてお話しします。

 

絶望は、自分の未来に対する希望や願いが断ち切られ、未来が実現できないと分かった時に感じられるつらい感覚です。希望のない状態。脳が、その希望のない未来をストレスとして感じている状態で、非常に不快です。未来への希望や願いが達成できると思うと、そのストレスは消え去ります。達成できないと思うと、その未来の問題は未解決なままとなり、高いストレスが維持されて、絶望感を感じます。

 

思考は、未解決な問題、不確定な未来を脳内でストレスに感じて、これを解決しようとする脳の活動です。不確定な未来、不安な未来の問題の解決を、自分のこれまでのあらゆる記憶や経験にアクセスして、また、論理を活用して探ります。思考とは、不確定な未来の問題の解を見出そうとする脳内の活動です。解を見出せないと絶望し、見出す事を諦めると鬱になります。ストレスにさらされ、そのストレスを問題の解を見出す事で取り除くとストレスは消えますが、見出せないとストレスは高く維持されたままで、ストレスが長くなり過ぎと脳のキャパシティーを超えて、絶望から鬱になります。

 

したがって、絶望の原因を思考によって探り、その解答を見出す。この事が重要になるわけです。絶望は本当につらいですが、しばらく苦しんだ後、その絶望の源となる原因を思考により探ります。そして、自分なりに、その不確定な未来に対して解答を出します。しばらくして、その解答が間違いであることに気付いたら、また問題は依然として未解決なままとなり、絶望します。そしてまた、その絶望に打ちひしがれながら、その原因の内容に思考により迫り、向き合い、新たな解答を見出す。

 

絶望感は人から生きる気力を奪い、前に進もうとする足を止めます。脳が、解決できない強いストレスを感じているからです。そして、絶望の原因を思考力により探り、その問題の解を見出します。そのプロセスは、絶望の原因に迫るわけですから、否応なしに脳の不快感は高まり、とてもつらいものです。でも、思考によって解を見出し、また絶望したのち、また新しい解を見出す。そのようなプロセスを通して、絶望を受容していく。その未来への希望や願いは叶わないかもしれません。でも、受容して新たな解決策を見出していく事によって、これまでの未来への希望や願いを持っていた自分から、新しい自分に生まれ変わる。再生していく。このようにして深い絶望を思考によって乗り越えていくものだと思います。

 

人はそれぞれ絶望を抱えていて、未来に向かって生きていく力を失いかけます。ですが、思考力により、絶望を受容し乗り越え、リボーンする。再生した新しい自分はまた、次の絶望に打ちひしがれるかもしれません。でも、また思考によりリボーンする。人はそうやって、何度でもリボーンする生き物だと思います。