毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

可もなく不可もなく今日を過ごす。よく観察する事。

いつも絶好調というわけにはいきません。いつも絶好調だったら、それは絶好調ではなくて、自分にとっての普通です。良い時もあって、悪い日もあるから、だから、絶好調の日があるんです。

 

人は普通、波がありますから、良い時もあるし悪い時もあります。その意味で、絶好調の日はあるわけで、絶好調とはかけ離れた日も、当然あるわけです。それが普通です。

 

絶好調の日があるという事は、絶不調の日もあるという事を認めざるを得ません。人間には周期構造がありますから、良い時もあれば悪い時もある。そういう事です。

 

そう考えた時、今日絶好調ではない日であるというのは、普通の事と認めざるを得ません。可もなく不可もなく、今日という日はごく普通という事は十分あるわけです。

 

特に何か良い事がないからと言って、それは問題ありません。ごく普通のありふれた日というだけです。

 

何か、調子が出ないと感じる今日も、特に問題はありません。そんな日はごく普通です。絶好調の日なんかまれなわけですから、何事もない、調子も出ない、そんな1日は普通です。

 

場合によっては良い日かもしれません。絶不調の日もたまにはあるし、普通に不調の日がありうることを考えると、調子が出ない日なんか、普通も普通。そして、よく観察してみると、良い事も起こっているかもしれません。

 

日々は、よく見ないといけません。確かに可もなく不可もなく、普通の日と感じられますが、実は良い事も十分ありうるわけです。

 

いつも過剰に何かを期待してしまっていますが、過剰な事を期待する事自体がおかしいわけで、ちょっとした何か良いと感じられる事があれば、1日としては上出来なわけです。

 

そんな事より、よく観察する事です。今日という日をよく観察する事です。

 

きっと見逃しています。調子がいまいちと感じている今日の中で、良いと思えることが実はたくさん転がっています。

 

そういった事をきちんと見つけ、拾い上げる。それが、1日の過ごし方です。可もなく不可もなく今日を過ごせばいいし、でも、そんな中で案外良い事もたくさん起こっているんです。

 

絶好調の日なんてそんなにないし、期待に応えてくれるような良い事なんて、日々の中には基本的に無いんです。ごくたまにしかないんです。

 

そんな事よりごく普通の、ありふれた1日。可もなく不可もない今日という日。そういう何の変哲もない今日という日をよく見て、良い事を見つけ出すんです。その良い事が、飛躍するきっかけになるかもしれません。その可能性を見つけるだけで十分なんです。