毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

不安とともに生きていく。

人間ですから、不安はあります。大きい不安から小さい不安まで、たくさんあります。それが普通なんです。

確かに、調子の良い時は、不安は感じないかもしれません。ですが、時間が経てば、また不安は訪れます。人間とはそういう生き物です。

不安は、精神状態のひとつで、よく生じる感情です。少ない方が良いですが、無いものにはできません。ですから、いかに、不安と付き合っていくか。そういう事です。

日々、いかに、不安と付き合うか。日常とはそういうものです。不安を気にしたり、不安を無視したり、時には、不安と向き合い、またある時には、不安を振り切るわけです。

不安は付きまといますが、不安といつも向き合いっぱなしである必要は無いし、放っておいても良いんです。

また、不安と戦う日々という事もあります。不安と向き合い、不安と戦いながら、不安に負ける日もあれば、不安に打ち勝つ日もあるわけです。

不安は、別の意味では、サインです。危険や危機を教えてくれるサインです。確かに、感じているわけです。このサインは、確かに自分の身体が感情を通して送ってきているわけで、対応する必要があるわけです。

ある意味では、危険や危機の状態だから、対応してくれ、そして、対処してくれと言っているわけです。

だから、対応するんです。対処するんです。とは言え、どのように対応し、対処すればいいか、分からないわけです。

分かればすぐに対処して、それで解決するわけですが、そうはいかないわけです。

ですが、確かに、不安はサインであり、どうにか対処するんです。色々やってみて、すぐに解決する事もあれば、解決に時間がかかる事もあります。

その場合は、思い切った判断、もしくは、決断が必要かもしれません。

リスクを取って、思いっきり何かに挑戦する必要があるのかもしれません。もしくは、何かを思い切って断念して、諦めて、止めて、捨てないといけないのかもしれません。

またある時は、辛抱の時かもしれません。忍耐の時かもしれません。今は不安を抱えながら耐え忍び、この難所をくぐり抜けるのを、ただ待つだけかもしれません。

先はどうなるか分かりませんが、思い切った手を打たなくても、解決されるかもしれません。

とは言え、また、不安はやってきます。不安はいつも自分のそばにあって、何かあれば、危機や危険があれば、すぐに現れます。

ですが、不安は人間としての普通ですから、それを完全に無いものにはできません。不安と上手く付き合い、たまには、無視し、たまには、振り切り、戦い、そして、向き合うんです。

いずれにしても、精神的には大変ですが、不安とともに生きていくんです。