毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

不調は見えない不安が原因。不安を受け入れる良い機会。

不調は見えない不安が原因だったりすると感じます。見える不安はまだ対処しやすいですが、見えない不安は厄介です。

 

不調の原因は、すぐには分からない事があります。実は、自分でも気づいていない不安に基づいている事があります。だから、見えないたくさんの不安に気付くようにする事は大切だと感じます。

 

仕事の事の不安を抱えている時もあります。仕事が日々出来ているから気付いていないこともありますが、ある時身体が不調になってはじめて、その見えない不安があった事に気付きます。でも、それはいい機会だと思います。見えない不安が見えるようになったから。見えるようになったら、多少対処は出来ます。

 

生活する事自体にも不安を感じる事があります。そこでは、自分には見えない不安があったりします。お金のことかもしれませんし、生きる事に対する漠然とした不安かもしれませんし、体調の事かもしれませんし、そのような不安は色々とあります。ですが、いつもそれらの不安を気付いているわけではありません。そして、それらの不安に対して対処出来ているわけでもありません。そういったときに不調になったりしますが、やっぱりそれは、不安が原因だったりします。不調は良い機会なので、この機会にそれらの不安に気付くようにするのが良いと思います。

 

見えない不安だからと言って、不安が無いわけではありません。意識的な自分は気付いていませんが、無意識な自分は知っています。身体も不安を感じています。ただ、自分の意識や、自分の頭が気付いていないだけです。自分の無意識や身体はその不安を感じていて、しばらくは持ちこたえていて、そしてある時、不調という形で表面化します。

 

色んな事が不安なんだと自覚する事は、何かスタート地点に立てた気がします。いつもは不安が無いものにして過ごしていて、そして、ある時、それらの不安に気付かされる。そして、不調とともに休まざるを得ない。そして、それらの不安に気付いて、認めて、受け入れる。全部の不安を受け入れる。それはとても良いプロセスだと思います。あるものはある、ある不安はあるとして認めるわけですから、心も素直になれた気がして、ひと息ついて前に進めそうです。

 

そもそも、不安があったっていいんです。人間とは不安を抱えた生き物。いつだって何らかの不安がある。でも、あんまりある不安を何ものにし過ぎると、ある時無理が来ます。不調になります。でも、それもサイン。不安を認めてゆっくり過ごすのが良いと思います。