毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

客観視する習慣。自分も周りの人も客観視。自分が本当に感じている事を客観視。

毎日、仕事をしたり周りの人たちと接していたりすると、色んな事があると思います。そして、自分の周りの事や自分自身の事で不安になったり、つらくなったりします。それは何かのサインであって、その事に対処する事は大事な事だし、自然な事だと思います。

 

そういう感情を伴ったサインが自分の内部から発せられているのに、これに上手く対処できない苦しさってあると思います。そういったサインをきちんと受け取って対処できるようにする為には、やはり、「客観視」する事が大切だと思います。

 

客観視するとき、基本的には、自分と向き合う時間を作って、その時間の中で自分自身を客観視する事になると思いますが、この「自分と向き合う」という作業が案外難しいと感じます。自分と向き合う時に、ある意味過剰に向き合い過ぎて、何でもかんでも自分事として捉えすぎるという問題です。

 

客観視とは、自分に対してだけでなく、自分の周り、自分の周りの人たちも含めて、客観視する事です。過剰に自分だけを見て、周りや周りの人たちを見ないのは、客観視とは言えません。もっと広い視点で、もっともっと自分自身を周りの事と含めて客観視する事が大事です。

 

自分に向き合い過ぎると、過剰に自分を責めたり、強く自己否定に陥ったりする場合があります。それは、上手く客観視できているとは言えません。むしろ、自分に強くこだわっているかもしれません。自分が正しいとか正しくないとか、自分が悪いとか悪くないとか、そのような自分寄りの判断をしようとするのはちょっと違います。本来、客観視は、自責の念や自己否定とは関係ありません。フラットに見るだけです。

 

そして、もうひとつは、自分の心が本当に感じている事を客観視するという事です。上と同じく、ある意味自分視点で、自分にこだわり過ぎるあまり、自分自身が自分の奥底で本当に感じている事に気付けない事があります。もっとシンプルに感じている事があると思います。それを素直に認める事が大事です。「嫌なものは嫌」といったシンプルな感情が自然と発せられていたりします。それを、シンプルに、素直に認める事です。

 

客観視は言うのは簡単ですが、実践するのは案外難しいです。自分自身にこだわり過ぎると、過剰な自己肯定も問題になりますが、過剰な自己否定も問題になります。

 

話は少し変わるかもしれませんが、諸行無常というのが仏教にあります。世の中は常に移り変わっていますが、自分自身も常に移り変わっています。移り変わっていいんだと思います。移り変わる世の中で、自分自身も自然と移り変わりながら、良い状態になるように自分を動かしていったらよいと思います。