毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

何者かになるのも自分にこだわるのも止めて、脱力して生きる。

人は、何かと自分にこだわってしまいます。自分が何者かである事を求めて、気が付いたら自分に無理な生き方をしてしまいます。ですが、その「何者」にはなかなか到達しません。きっと、そんなものは無いからです。

ある面においては、社会的に何者かにはなるかもしれませんが、あくまで社会的であって、一方で必ず自分は自分自身なわけで、自分ではない「何者」に100%なる事はありません。

例えば、成功者になる、みたいな事は、社会的な何者かになるというのに似ていて、今の自分ではない何者かになろうとする事であるわけですが、仮にその状態に到達しても、きっとその時には、さらなる成功者の像が、もっと向こうに遠のいているわけです。

何かと、何者かにならなければならない、とか、自己実現したいとか、今の自分ではない何者かになるために、自分を無理にプッシュアップして、そして、いつまでも、その状態に到達できず、落ち着かないわけです。

いつも自分を無理させてしまいますから、エネルギーは足りなくて、満ち足りる事も、安心が得られる事もありません。

だから、どこかで、そろそろ、脱力が必要であるわけです。脱力して生きる。

別に、何者かになる必要はない。何者になるかも何も、すでに自分は何者かであって、それは自分自身であるわけです。

ただ、何かをやっているだけであって、それで社会的には何者かであって、それ以上でもそれ以下でもなく、何者かであって、それでいいわけです。

そして、それは、つまり、何者かになる必要は無いという事です。

誰も何者かになる事は求めていないし、求めているのは自分だけだし、そして、その自分さえも何者である事を求めなければ、もう誰も自分自身が何者である必要も無いわけで、それが分かれば、無理やりな自分自身のプッシュアップは止めて、ただ自分でいればいいんです。

周りの誰もそれで何も困らないし、自分が過剰に自分こだわっていない分、むしろ周りにとっては接しやすくなるくらいで、有難いほどです。

自分だけが、確かに自分の事ですからそれはそうなのですが、自分に過剰にこだわっているのであって、周りからすればそれはどうでもいいし、むしろ、こだわらない方が周りからしてもスムーズに接しやすいわけです。

そして、自分自身も楽になるんです。パフォーマンスも自然なものになるし、むしろ、上がるし、自分も皆もハッピーであるわけです。

だから、脱力して生きるんです。何者かになろうとするのも止めて、自分に過剰にこだわるのも止めるんです。楽に生きて、パフォーマンスを自然に上げるんです。