人は変化する生き物であり、また、変化を求めているわけですが、実際には、今この瞬間、刻々と変化し続けているわけです。ですから、無理に変化しようとしなくてもいいわけです。
そして、無理に自分が変化している事を感じようとする必要もありません。いつだって、常に人は変化しているわけですから。
ただ、自分自身が変化しているのかどうかは、分かりにくいものです。常に変化に直面しているだけあって、その連続する瞬間の中で、自分はそれに気づきにくいわけです。
ですが、振り返ってみれば分かります。過去の時点から今の時点まで、確かに変化してきています。ですから、今無理に変化を感じようとしなくていいんです。
変わらないなんて事はありません。そもそも、常に変わり続けています。自分自身も常に変わり続けているし、周りも変わり続けています。
諸行無常ですから、世界は常に変化し続けているわけです。変化し続けている世界の中で、自分自身だけが変化しないなんて事はありません。
自分は、世界の中にいるし、世界の一部を構成しているわけですから、世界とともに、常に変化し続けているわけです。
その意味では、世界に身を任せていれば、自然と変化するはずであって、変化しないように自分を固定化しようとする事自体が困難であるわけです。困難というか、無理であるわけです。
世界の一部であるわけですから、世界の別の何処かが変化していると同時に、自分自身も変化しているわけです。
その意味で、世界はつながっていると言っても過言ではないわけで、世界の何処かの変化が、自分自身に直接的にも間接的にも変化をもたらすわけです。
変化し続ける世界の中で、確かに、景色は常に変化し続け、自分自身も変化し続け、互いに、関係しあいながら、生きているわけです。
変化に大きいも小さいもないし、変化が小さく見えても実際は大きい変化だったりして、逆に、大きい変化に見えて実際にはちょっとの変化だったりするわけです。
変化が大きいか小さいかはそんなに重要ではありませんが、振り返ってみると、小さいと思っていた変化が大きかったりするわけです。
そこに、無理な力は必要ないわけです。自然に変化するままに変化するんです。いかようにしても変化しているんですから、それに抗う必要は無いし、その変化を面白く、楽しく過ごしたらいいんです。
変化する世界の中で、水のように、空気のように、身を任せて変化出来たなら、きっとそれは凄く面白く、楽しいんだと思います。