美とは、人間が持つ性質によって生み出されるものであり、人間の能動性によって生み出されるものであるわけです。
美は無理やりに押し付けられるものでもないし、理解によって感じられるものでもありません。ある意味、自分で勝手に感じるものであり、つまり、能動性によるものであるわけです。
さらに言えば、極めて能動性を発揮できない状況であっても、美は見出されるものであり、見出されてしまうものでもあり、人間の中にすでに何かを能動的に生み出す事が出来ない状況であっても、それでも、最後の能動性として生み出されるものが美であるわけです。
美は、無理やりにでも引き出されるものであり、引っ張り出されるものであり、つまり、人は美に魅かれるものであり、美はそのような魔力を持つわけです。
その意味で、美は、意識的に、見出さそうとしたり、作り出そうとしたりする必要はないわけで、ただ心を開いていれば見出されるわけです。
そのように考えると、大事な事は、身体の状態であったり、心の状態であったりするわけです。端的に言えば、身体が健やかで、精神も穏やかで、リラックスしていれば、美は容易に見出されるという事です。
その意味で、快適さは追求されるべきであり、快適な空間を作り出す事によって、美は自然と現れるわけです。
快適な空間を準備する事で、十分なスペースや余白、自由を与える事が重要であるわけです。
自由な空間、自由な時間を感じられたなら、自ずと、美は生まれ、見出されるわけです。
美が生み出されにくい状況というのは、また、美を妨げるものは、不自由さであり、時間の無さであり、焦りであり、マインドレスな状態であるわけです。ですから、そのような状態から解放して、自由な時間と空間を作り出すという事です。
今という時間を感じられていないとしたら、美は見出されるべき空間に入り込む余地が無いわけで、ですから、今を十分に確保し、今を感じられるようにする事、その事に気付く事が重要であるわけです。
美は、人間に生きる力を与えます。生きる原動力を与えます。そして、本来的に、人間は美を見出し、作り出す力を備えています。ただ、その力を発揮するだけです。
その為にも、快適な空間を作り出す事です。快適な空間を準備して、今を感じて、その為の空間と時間を作り出す事です。
そのようにして、自分を解放して自由を作り出したなら、自ずと、美を認め、見出し、生み出すわけです。その事が生きるエネルギーをもたらすわけです。