快適な空間とは、どういったものだろうか。身体的に、もしくは、物理的に快適な空間である事と言えるわけですが、それ以上に、精神的に快適である事とか、心理的に快適であるとかも、とても重要であるわけです。
その意味で、心身ともに良い状態である事は、快適な空間を作り出す上で欠かせないと言えます。
例えば、自分にとっての快適な空間では、身体的にも、精神的にも、心理的にも、自分は自由であって、また、きっと豊かな空間であるわけです。言うと、自由に遊ぶことを可能にする空間でもあるわけです。
自分にとっての遊びとは、人それぞれ異なるわけですが、例えば、絵を描くという事も遊びと言えます。
自由気ままに、描きたいように絵を描く。何か目的を持つ必要もなく、また、何か作品として提出する必要もなく、人に見せる為に見えるに堪えうる絵を描く必要も無いわけです。評価の対象でもなく、何ら良し悪しを判断する事も無く、また判断される事も無く、自由気ままに、心地良いままに描くわけです。
書く事もそうです。自由気ままに、ノートに何かを書く。つまり、ジャーナリングという事ですが、そこでは自由に、自分の思いつくままに書いてよいわけです。
きっとその空間では、書く事に没頭できるでしょうし、没頭できる事が心地良いわけです。快適であるわけです。
快適空間が没頭する事を可能にするわけですが、逆に言えば、没頭する事が快適空間を作り出すとも言えるわけです。実際、心地良くない環境に居ても、何か自分にとって対象に没頭できる状況を作り出せたなら、その空間は快適空間になりうるわけです。
考える事自体も、その事に没頭する事により、思考を多様に巡らす事ができ、まさに、思考の快適空間となりうるわけです。
そのような快適空間においては、描く事も、ジャーナリングも、思考も、みんな遊びであり、自由であり、豊かであり、その事が快適空間を作り出すわけです。
自分にとっての遊びとは何か。それは人によって様々です。何かすぐ没頭出来てしまうような事は、ひょっとすると自分にとっての遊びかもしれないし、また、遊ぶようにやってしまう事は、容易に没頭してやれるのかもしれません。
人がどう思うかとか、世の中では一般にそのような事は遊びとは言わないとか、そういった事は一切関係ないわけです。すぐに没頭してしまう事、自由や豊かさを感じられる事、そういった事は遊びの対象と言えるわけです。
ですから、自分にとってのそれが何であれ、描く事であれ、ジャーナリングであれ、考える事であれ、自分にとっての遊びに没頭する事が、快適空間を作り出すという事です。