人にとって、美しいとは一体何なのだろう。
例えば、人の見た目は、美しいかどうかを認める一つの指標ではあるわけですが、もちろん、美しいとはそれだけではありません。
その人が、人の事をちゃんと尊敬したり、ちゃんと尊重したりする事は、その行為自体が美しいと言えるように思います。もちろん、佇まい、姿勢、そういったものは美しいという言えるわけですが、人のものの考え方や態度、認識そのものも、美しいと感じられると言えるわけです。
人は、何かを見て、それに価値がある事を認める、そのような事が出来るという事自体も、美しいわけです。
別に、美しいとは、人に限ったものではなく、美しいものはたくさんあって、美しいコップや美しい皿みたいなものもあるわけです。言い始めるときりがないほど、美しいものはたくさんあるわけです。
花や木、鳥など、自然にあるものは、全て美しいわけです。間違いなく美しいわけです。その意味では、人間も、当然美しいわけです。
美しいというのは、言葉で説明するまでもなく、また、言葉で説明するより以前に、それが美しいと分かるわけです。それを美しいと認識するのは、言葉で、もしくは、思考でそれを美しいと言うよりも速いわけです。
美しいと認識する事は、それ自体が喜びでもあるわけです。美しいと認識するその行為が、すでに、快であり、喜びだという事です。
例えば、色を美しく感じ、言い方を変えると、美しいと感じられる色は、喜びを与えてくれるわけです。つまり、色を美しいと感じる事自体が喜びであるという事です。
その意味で、確かに、人は、美しさを求めているわけです。また、美しさを求めようとしなくても、それ以前に、美しさを無意識に、アプリオリに、求めているわけです。
そのように考えると、美しいと感じる事は喜びであり、そのように感じる事が力となり、つまり、美しさは、生きる力を与えてくれるわけです。
実際、美しいと感じずに過ごす事はあり得ます。いつも、何かを美しいと感じながら生活をするとは限らないわけです。ですが、その生活は生きる力を与えられないとも言えるわけです。
何かに、自分自身が美しいと感じる事は、それ自体が幸運であって、幸福な事であるわけです。それだけで、そう感じるだけで、生きていけるほどです。美しさとは、また、美しいと感じる事は、それだけで、生きる事に力を与えてくれるという事です。
人は美しいという事を、求めようとしなくても潜在的に求めているのであって、それだけで生きているのであって、美しさを認めたならば、それが喜びであり、生きる力になるわけです。