美の追求と言っても、自分自身を磨いて美しくなる、という事だけを言っているわけではりません。
もちろん、自分自身を美しくする、美しい自分になる、という事も大切ですが、それだけが、美の追求ではありません。
自分がどのような事に美しいと感じるのか、というように、自分が感じる美を追求するという事です。美とは、人それぞれであり、その人が認め、感じる美とは、その人特有のものです。
その意味で、自分にとっての美を追求するという事です。
美を認め、美を見出し、美を感じる。その事が、自分にとっての喜びであり、また、幸せであり、また、生きる力を与えてくれるわけです。ですから、人生のうちで、自分にとっての美と出会う事は、この上ない喜びと言えるわけです。
そのような自分にとっての美の追求は、主観的ウェルビーイングにとっても重要であるわけです。
美の追求は、確実に、自分自身にポジティブな感情をもたらします。喜びだけでなく、心地良さ、快適さ、と言ったあらゆるポジティブ感情を誘起します。
また、美を追求し、また、美を求め、そして、美を認めたり、見出したり、発見したりすると、ひとつの達成感を感じられます。達成感は、主観的ウェルビーイングにとってとても重要です。
そして、美への追求は、自然と自分自身を美へ誘います。また、美に集中していきます。美に没頭します。美自体がポジティブな感情を伴いますから、それも加わって、没頭とともに、主観的ウェルビーイングも高まるわけです。
人間関係においても、自分自身にとって美しいと感じる人と出会ったなら、それが喜びであり、美しい人と交流する事は、この上でない喜びになるわけです。人間自体、そもそも美しいのであり、自分にとっての美しい人はたくさんいるはずです。そのような人は、そのまま自分に美を与えてくれるわけで、ウェルビーイングにつながります。
そして、美の追求自体が、自分に喜びと幸せをもたらしてくれる行為であるわけで、実感とともに、意味を見出せます。美の追求は、自分の生きる意味を十分に与えてくれます。
美は、感覚的なものであり、また、感情を伴うものであり、直観によって得られるものではありますが、自分の経験や記憶、知識、思考、全てが、美を見出し、美を生み出す力になるわけで、美への追求には終わりが無いわけです。
人生においても、美の追求は、自分にとっての生きる意味を十分に提供しうるわけです。
そういうわけで、美を追求する。その事自体が、主観的なウェルビーイングにつながるという事です。